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「愛おしい」をつくる紙屋中庄さんができるまで。

なんとなく居心地がいいと感じること、
心が安らぐものなど、

それは好きなもの、
好きな場所、
好きな人、
好きな時間

人それぞれ言葉に表せないけど、なんとなく幸せに感じる瞬間があると思います。

紙を眺めていてもそんな瞬間を感じることがあります。

「なんかいいなー」
「手元においておきたいな」
「飾ろうかな」

どんな風に使うかも考えてないのに、なんとなく見ているだけで欲しくなる。ただ愛でていると幸せな気持ちになる。

最近は紙の販売やワークショップをしていると「素敵な紙ですけど、コレって使えばいいですかー?」と聞かれる事があります。

紙に触れた時になんとなく生まれるその感覚を言語化することができなくて、何か用途がなければいけないんだ、そのための新たな用途開発こそ紙屋の使命であり、紙の可能性を広げる事だとずっと考えていました、、。

でも本質的には何に使うかなんてのはどうでもよくて、その何となく触れていたい、愛でていたいと感じるその瞬間が紙の一番の魅力。僕はその感覚を大切にしてもらいたいし、その魅力を伝えていきたい。

それこそが「紙にはまだまだ無限の可能性がある!」と思えた原点です。

今回はそんな僕が、創業240年の紙屋・中庄の中で進めてきた新規のプロジェクトの3年間を振り返ってみようと思います。

少し長くなりますが、お付き合いいただけたら嬉しいです。


最初の一歩

新規のプロジェクトがスタートしたのは2020年ごろからだったと思うけど、新しい事を始めたいと思ったのはその1年くらい前からだったように思います。まだ家庭紙の営業している最中に、忘れもしない千葉北の高速を降りて信号待ちをしている中で、こんな事をしたら面白いんじゃないかと思いついて車を道の駅で停めてノートにアイディアを書き殴った記憶があります。笑 

それが本当の初めの一歩、、。

あの頃の僕は本当に何かに取り憑かれたように「もっと何かしなくちゃ」「とにかく新しいことを見つけなくちゃ」と焦って、「このままじゃダメだ」って自分を追い込み続けていたような気がします。

だから会社の中では、周りを見る余裕なんか全くなくて、自分の自信のなさや弱い部分を強い主義主張で隠して、誰からも何も言われないように武装していたのだと思う。それを理解されないことが悔しくて、「絶対に理解させてやる」「自分がこの会社にいる意味をつくるんだ」と思ってました。

本来やるべき家庭紙事業部の仕事をしながら、自分の考えや、やってみたいことをまとめたり、小売店の事業部の仕事を手伝ったり、興味のある先に足を運んだりしながら少しずつ自分のやりたいことをアウトプットしていきました。

↓その頃の事は下記note記事を参照。

そんな中で、2020年の1月にドイツの見本市「ペーパーワールド」に急遽社長の代打で行かせてもらえることになりました。本当に奇跡に近い出来事で、そこで僕が考えていることは確信に変わります。

「紙屋としてできることはまだまだ沢山ある。」「紙の可能性はこんなもんじゃない」「僕はこんな仕事がしたい」と、、

帰国してからもあの感動が忘れられず、とにかくそれを伝えるためにnoteを書くことに決めました。

↓その頃の事は下記note記事を参照


元々文章を書いたことなんてないし、それを世の中に発信することなんて、考えたこともなかった。僕が発信することなんて、何の価値があるのかと思いましたが、とにかく何かを変えたくて、動かなきゃ何も変わらないと思い、発信することに決めました。そのタイミングで弊社の社長にも「こういうことがやりたい!」と伝え、それを社長はちゃんと受け止めてくれて「刑部ちゃんの好きなようにやってみな。」と言われたことを今でも覚えています。

そこからどのうような流れで発信していくのがいいのか?を考え、突然ペーパーワールドの話をするのではなく、前段が必要かなと思い、自分の思っていること、やりたいこと、コンセプトのようなものについてをまず発信してみました。

そこからnoteだけでは拡散力が足りないと感じ、広報的な役割としてX(旧Twitter)も始めることにしました。あの頃は発信することがなくても毎日3件は絶対にツイートすると決めて発信してたと思います。きつかった、、

ですが、そのおかげもありnote、X(旧Twitter)を読んでコメントをくれる方や、つながって実際にお話しをさせてもらった方、あの頃は何をして良いのかもわからず、インタビュー企画なんかをぶち上げたり、YouTubeを始めたりとさまざまな事をしてみました。その際にお世話になった方々、たくさんのご迷惑をおかけしてしまったことを本当に謝りたいし、感謝の気持ちでいっぱいです。

そんなこんな試行錯誤を続けて、ちょっとずつ新しいつながりと可能性が見えてくる最中、とある方に衝撃的な一言を言われます。

「刑部さんのやってることって何の意味があるんですか?」

薄々感じてはいたけど、本当にそう。


その頃の僕にはこの一言があまりにも痛烈だったし悔しかった、、。

でも言われてはっきりと気がついたことは「誰かが何かをしてくれる訳ではない」という事です。

誰かとつながった事で、その人が何かをしてくれるわけではない、あくまでも自分自身が世の中に対して明確な価値提供ができないのであれば、新しいビジネスなんかは生まれるわけがない。紙の新しい可能性を開くためには中庄自ら、世の中に対して新しいアプローチを展開する必要があるという至極当たり前なことに気づかされました。

そして、気持ちを新たに、前進することができたんだと思います。

コロナ禍での変革と挑戦

その後、2020年4月以降コロナ禍に突入して、考える時間が増えたことと、世の中の仕組みが大幅に変わってしまったことでさらに現状のシステムやら立場に疑問が生まれてしまいました。

これはある意味ではチャンスだとも考えたし、その時の僕はといえば、社外はSNS、社内は日報なんかを駆使して、あれやこれやと日々の業務内容以外にも、毎日のように自分の気持ちや考えを発信していきました。


そこで、自らの手で何か世の中への価値提供をするしかない、今使えるべきものは全て駆使してやれることからやってみようと思いたち、「ショールームを使って何かを始めよう!」と考えました。

そんなことをTwitterで発信したところ、現在一緒に紙の遊園地プロジェクトおよびチョキペタスを運営しているアトリエヤマダの山田さんと出会いました。

↓その頃の事は下記note記事を参照

チョキペタスは今でこそ全国各地色んなところで開催のオファーをいただけるまでに成長させることができましたが、当初は僕と山田さんとで「なんか楽しいことしましょう!」で始まったことです。これが2020年の10月ごろのことです。


コロナ禍の真っ只中で僕の所属する家庭紙部では混乱は少し収束したきたものの世の中的にはまだまだ類をみない混乱状態でした。

御多分に洩れず、中庄も組織改革なるものが行われ、僕自身はソリューションデザイン部という新規部署の長として大抜擢されることになりました。これがどういう経緯でこうなったのかは分かりませんし、当時のことをあまり思い出すことができません、、。

ただ当時の役員から突然電話がかかってきて会社で会議をするから来て欲しいと言われ、8月のちょうど夏休みの予定が入ってたものを変更して会社に行ったら組織改革のことを知らされた記憶があります。

そして、2020年の11月に正式な辞令が下されて、ソリューションデザイン部が立ち上がります。

会社からはとにかく「自分の楽しいことをしなさい!」とだけ命を受けて、僕は右も左もわからない中、部下2人を従えて何かを始めなくてはならなくなります。1人は家庭紙部の頃から僕が教育係をしてきた若い女性の外舘(とだて)さん、そして、もう1人は洋紙部で部長代理にまでなっていた完全な大先輩の永塚(ながつか)さん、、。正直「やりづらいなぁ」と思った記憶があります。

僕としては、紙の新たな可能性を探っていくこと、そしてそのために始めたプロジェクト「紙の遊園地」および「チョキペタス」を全力で進めていくことしか考えていませんでした。そうは言っても、この活動の収益化については当時全く考えてはいなかったし、どうなるかなんて全くわからなかった、、とにかく自分のやりたいことを全力でやれる喜びで満たされているだけでした。

ただ厄介なことがひとつあり、部の中では新しい事業を立ち上げるにあたって数年前から受け続けていた研修の内容を活かすような新規の営業開発なんかもあったりして、その研修を請け負っていたコンサルタントの人が部に介入してきて僕は完全にバチバチに対立することになります。正直その営業活動に身が入らなかったし、「やりたいことを邪魔されるな〜」と感じていました。

そのおかげもあって、部の中は完全に二分化。
僕と外舘さん、コンサルタントと研修内容を真面目に愚直に取り組む永塚さんという構図になってしまいます。その後にもう1人若い男の子である五月女(そうとめ)さんが中途入社してくるのですが、五月女さんも新しい営業開発の方に加わり(当時はそれしかやらせることがなかったため)二極化の様相がどんどん強まってしまいます。

おそらく2020年の11月から2021年の11月ごろまでこの状況が続いたのかと思います。今考えてみれば二極化させたのは他の誰でもない僕のせいであり、自分の考えや山田さんと一緒に作り上げていった紙の遊園地プロジェクトを誰にも触れてほしくなかったのだと思います。とにかく新しい何かを見つけなければならないと本気で考え続ければ続けるほど、周りの人たちとの距離を自分自身で作って、バリアを張って、「どうせお前らにはわからない、、」「わかってもらえるはずがない」という感情を作ってしまってたんだと思う。

これまでも色んな方に色んな事を言われました。
「こどもたちを集めて楽しそうだね」「でもそれでどうするの?」「慈善事業ですか?」「良いPRになりますね!」

言われれば言われるほど、悔しくてたまらなくて「絶対に中庄の既存事業と肩を並べる新しい柱をつくるんだ!」「中庄で働くことを誇りに思える仕事をつくるんだ!」と見返してやりたい気持ちでいっぱいでした。

分かってもらうためにはとにかく結果を出すしかないし、チョキペタスを通じて色んなオファーを受けるたびに少しづつ可能性を感じて、「営業開発の仕事なんかはくだらない」「紙の遊園地を絶対に新しい事業の柱にするんだ」と僕自身が二極化の元凶であったことは言うまでもありません。

部の関係性も最悪で、ちょうどコロナ禍で会社として在宅勤務を推奨していることもあり、唯一信頼していた外舘さんはほぼ自宅から出てこなくなるし、大先輩である永塚さんとは会話もまともにできない、何もやる事がないのに転職してきた五月女さんから「今日は何をすればいいですか?」と攻撃を受ける日々、、。泣

この頃は今思い出しても完全に地獄絵図、、笑

ただ僕の唯一の希望はチョキペタスに来てくれるこどもたちや親御さんの笑顔、それが生み出す空気感、一緒に進めてくれるアトリエヤマダの存在。そして何より、ちょっとずつ出張のオファーをいただいたり、「良い取り組みですね!」と共感してくれる端材提供企業さんたちや新しくつながった外部の方々が、このどうしよもない状況を少しでも前に進ませてくれたんだと思います。

僕自身が初めて本屋さんのSPBSさんからオファーをいただいて出張した豊洲のららぽーと。

その後、2021年の11月でコンサルとの契約が切れて、はれて僕は自由の身となります。コンサルからとやかく言われることはなくなったわけですが、だからといって部の状況が良くなるわけではありません。

ちょうどその頃、自社開催としては初となるスタンプラリー形式のイベント「紙の遊園地」を日本橋にて開催、3日間でおよそ400人の方が来てくれるイベントなりました。

アトリエヤマダの全面的なバックアップによりイベントとしては無事に大成功で終わったのですが、この時はプライベートでは、3歳の娘が生死を彷徨うほどの病気を患って、生きた心地がしなかったこともあったりしたけど、僕が始めたことだからイベントをやめるわけにもいかないし、会社に行ったり、イベント準備する中で、病院にも行って毎日のように泣きながら過ごしていたように思います。

そんなこんなで、怒涛の2021年が終了します。


「楽しい!」をつくるということ

2022年に入ってからは全国各地、大阪、群馬、広島、神戸、色んなところで出張図工室チョキペタスを開催していきました。端材提供していただける企業さんも劇的に増えていき(現在では30社以上)、チョキペタスの空間もどんどん楽しくなり、色んな可能性が見えてくるようになります。

ただ2022年に入ってからも、僕1人が準備を行い、現地に行って実施をするような状況がそこまで大きく変わることはありませんでした。

そんなある日、2022年の3月に浅草ROXにて初開催したチョキペタスの後、大成功で終わった僕は意気揚々と片付けをしながら、「楽しかったねー!」と言っていたところ、外舘さんから「私は初めてこどもが嫌いになりました、、」と言われました。

外舘さんはこどもにとても好かれるタイプでいつもチョキペタスの中でも大人気。今回も楽しそうに働いていたし、そんな風には一切見えなかったのであまりにもショックで、僕は言葉を失ってしまいました。

というのも、考えてみればわかることで、催事の開催を行えば、当然のように土日の出勤が増えて、今まで普通であった土日休みという働き方がどんどん崩れていきます。彼女は新婚当初ということもあり、色んな葛藤の中で働いていたんだと思います。

そして、みんなに無理をさせていたことに僕は気がついていませんでした。その後も、外舘さんからは「土日はNGです」と言われたり、家族からも「また仕事なの?」と言われる日々。

僕は中庄の中で誇れる仕事をつくること、こどもが誇れるような父親になりたかったはずなのに誰も幸せにできない仕事をつくっているんじゃないか、、ましてや、誰の楽しいも作れていないんだ、、と悩む日々。

出張オファーをもらうことは喜ばしいことなのに、誰にも歓迎されない、僕自身も喜べない、日程を伝えるのが恐いと思うようになってしまいました。それでもチョキペタスの拡大のため、事業をつくるためには、出張オファーを獲得していかなければならないといったジレンマが常に付きまといます。

そんな状況が少し、好転し始めたのは2022年の8月後半のこと、大阪西淀川アートターミナルにて開催した「canvas challenge」に参加させてもらった事だと思う。

僕以外の部の仲間も総出で初めて大阪に1週間という長期にわたり催事を行なった事で何かが変わりました。この時に何が起きたのか、当時のことを部員にきいても「なんでですかね〜?!」と明確な答えはいまだにわかりません。

ただ僕自身がこの時を境に、みんなを信頼して少しずつですが、自分のやっていることを伝えて、理解をしてもらい、任せられるようになってきたように思います。

↓その詳細は下記note記事参照。

この頃、コンサルが残していった営業活動の案件も一区切りしたり、小売店の事業やパン事業など中庄の中でずっと新しいことばかりやってきた大先輩の廣岡(ひろおか)さんが部のメンバーに加わったりもしました。その関係もあって、新しく加わった廣岡さんや元々新規の営業開発をしていた永塚さん、五月女さんに向けて、紙の遊園地プロジェクトやチョキペタスはもちろん、僕の考えていることや未来について、初めてちゃんと説明したように思います。

その中で少しずつメンバーの中でも理解が深まり、共感してもらったのかもしれません。いまだにそんな事すらまともにできてなかったどうしよもない状況だったんだなぁと今になっては思いますが、、。

この時、新しく加わった廣岡さんに言われたことを今でも覚えているのですが、「部署としてバラバラですし、なんで刑部のやってることをみんなが手伝ってないのか不思議でしょうがない、、」

それは完全に僕のせいだし、手伝わせるつもりもなかったというのが僕の答え。

外舘さんからは、あとから言われたことですが「チョキペタスは刑部さんと山田さんが進めていることだから私は必要ないと思ってました。」と言われる始末です、、。

今でこそ笑って話せますが、僕自身の深い深い戒めにしています。

余談ですが、僕は会社でとっても勘違いをされます。今もされてると思いますが、、常に自信満々で高飛車で、他人を見下しているように見えると、、。(会社の色々な方に確認済み。 笑)

本当は自己肯定感が皆無で、自信なんて常にないし、不安だし、恥ずかしいし、ただの泣き虫です。そんな自分を見せたくないから、必要以上にしゃべらないようにしてきたし、ときに強い主張ですべてを隠してきました。

それをどこかで「見せても大丈夫なのかもしれない、、」「みんながいてくれるんだなぁ」と少しづつですが、部の中で思えたことが自分の中での大きな変化のひとつだったのかもしれません。

そんなこんなで、部署の活動としては、紙の遊園地プロジェクトが一番の可能性の芽として残っていき、部のみんなで出張図工室チョキペタスを運営していくような日々がようやく進んでいきます。

みんなで進めていくには、やり方や情報などを共有・レクチャーしていかなければならないので、情報をまとめたり、そのための打合せ、実地を行なったりしながら、ちょっとずつではありますが、部署としての枠組みのようなものが生まれていきました。

そして、僕はチョキペタスの更なる可能性を広げるためにももっと外にでていこうと思いました。

この年の6月にアトリエヤマダが展示会出展する際に、ブース内にチョキペタス号も設置させてもらいました。それがきっかけで自分たちとしての出張案件がほんの少しでも生まれてきたことが、僕の中での自信につながったんだと思います。さまざまな企業さんとの打合せや商談は初めての事だったので、うまくできなくて開催案件自体の獲得はほんの数件しか生まれませんでしたが、本当に多くの経験を得ることができました。

そんな難しさを感じながら、当初より続けている毎月のチョキペタス社内開催については平日開催ということもあり、誰かに任せていこうかなぁと考え始めてはいました。

2022年9月にミッテン府中さんでの出張図工室チョキペタスの初開催が決まり、10月の開催に向けてハロウィンというテーマ制を考えてる中、外舘さんから社内でもチョキペタス×〇〇というコラボが何かできないかという話がありました。

そして、その後ノートづくりとコラボした企画をしてみたいといった要望が外舘さんよりあり、初めてのコラボ企画として「チョキペタス×ワクワクノートづくり」が実現しました。

社内での初企画
「チョキペタス×ワクワクノートづくり」

それ以降、社内開催について外舘さんを中心にして、部のみんなにまかせるように決めました。

そんな部のみんなに色んな事を任せていきながら、事業としての可能性を広げることで生まれる変化やそれに伴うジレンマを抱えながら、2023に入っていくことになります。


絶対にあきらめないということ

2023年に入ってからは、また僕自身の考え方が少し変わっていきます。

僕自身の楽しいは他の人の楽しいではないということ。人には人それぞれの事情があり、僕のやるべき仕事は、部のみんながより働きやすい環境を作ってあげること。

そしてそれこそが中庄という会社の中で新規の事業を立ち上げる意味なんだということ。

これはこれまでの2年間を通して、僕が学んできたことなんだと思います。なので、社内のチョキペタスの開催はもちろん、出張開催など、少しづつではありますが、現場における準備や運営・実施などについてはみんなに知ってもらい、任せられる素地をつくりはじめることにしました。

そうすることでみんながチョキペタスのことを自分ごととして捉えてくれるようになり、外舘さんはSNSの発信に責任を持ってくれて、積極的に企画案も出してくれるようになり、自分で言ったからに「この現場には行きたい!」と思ってくれるようになりました。

外舘さん主導の初現場
「東京スクエアガーデン」
成城コルティ
「チョキペタス×ワクワクノートづくり」としても初めて出張させてもらいました。


五月女さん、廣岡さんは、元々やる気のある人達だったので「まかせてください!」と言ってくれるまでになってくれました。

廣岡さん、五月女さんで進めてもらった現場
総合住宅展示場「ハウジングステージ新宿」

本当に部のみんながそれぞれ責任を持って進めていってくれることが嬉しくてしょうがない。


しかしながら、忘れてはいけない、ここでただ1人問題が、、

ずっと話のできてなかった永塚さんです。

この方がどうにもくせもので、今思えばなんて事ないんですが、僕としても攻略方法がまったく分かりませんでした。でも僕があきらめたら誰にも理解され無くなってしまうと思い、とにかく話をすることにしました。それしか作戦が思いつかなかったのですが、、。

永塚さんの考えてること、僕の考えてること、チョキペタスのこと、部のこと、新規事業のこと、お互いにやっていきたいこと、実現したいこと、本当に色んなことを話した気がします。

そんなコミュニケーションを通じて、お互いの考えを理解することができて、信頼できるようになっていきました。そして、今では「おさむ(永塚さんの下の名前です)、うるせーな」と言える仲になりました。笑

他人の何かを変えようとしたところで、変えれることなんてほとんどありません。プロジェクトの当初から関わってもらってきた外舘さんも、在宅勤務推奨期間中、家から出てきてくれなくなった時、僕が何を言ったところでまったく響かなかったですし、こちらから意味を伝えない限りは絶対に出社してくれなかった。

僕も何度も心を折られたけど、その都度話をしながら、僕はずっと必要としてるし、諦めないということだけを伝え続けました。

その後、彼女の中の何かがきっかけとなり今は誰よりもチョキペタスのことが大好きになってくれて、土日の催事も用事があって出れないことを悔しがるまでになってくれました。土日に出勤してくれることが、嬉しいのではなくて、そんな風にチョキペタスの事を考えてくれる仲間が増えていくことが本当に嬉しかった、、。

チョキペタスが好きすぎて最近はネイルまでチョキペタスカラーにしてくれています。

何があっても絶対に諦めないということは、この経験を通して感じた僕にとって大切な信念のひとつです。

だからこそ、永塚さんのことも諦めなかったし、本当に諦めなくて良かったと思います。今はチョキペタスのスタッフの一員として、一生懸命こどもたちのために尽力してくれています。

社内の定期開催にて、安定のサポートをしてくれる永塚さん

そんな風に、僕個人というよりかは部のみんなが「楽しい」と思って、チョキペタスを自分ごととして捉えて、より良くするために考えてくれることが本当に嬉しいし、いつも現場を見ながら感慨深い気持ちに浸っています。

そしてみんなからは「刑部さんは現場のことはもう知らないんでね、、」と馬鹿にされます。そんなくらいで良いんです。

たまに現場に入れてもらえる刑部

そして、2023年の6月にはチョキペタスとして初めて東京ビックサイトでの展示会に出展して、500社以上の企業さんとつながることができました。部のみんなも分からないながら全力で対応をしてくれて、どのブースよりも輝いていたと僕は思っています。

出展の際の記念写真

その際に繋がった先にありがたいことにご縁をいただき、2023年9月以降は毎週のように色んなところで出張図工室チョキペタスを開催させてもらっています。

「愛おしい」をつくるということ

こどもたちの笑顔と、時にはうまくできなくて悔しい思いをして涙するこどもたち、それを眺めて微笑ましく思う親御さんの素敵な姿が生み出す空気感を僕たちは全国各地につくっています。

そして、この何とも言えない空気感は何によって生まれているのかを部のみんなで考えて2023年の10月にようやく一つの結論にたどりつきました。

こどもたちの何にも縛られることなく自由な発想から生まれるあらゆる言動が、親御さんの新しい発見につながり、チョキペタスに参加することで、自身のこどものことを参加する前に比べてより「愛おしい」と感じることができるんだろうと思っています。

僕たちはそんな「愛おしい」と思える瞬間を全国各地につくっているんだと。

これは紙屋にも通じることで、紙を眺めているだけで、何だか心が安らぐような不思議な感覚。これは「愛おしい」と愛でていることに他なりません。僕たちは紙屋として、こんな「愛おしい」という瞬間をつくっていきたい。

チョキペタスの空間の中でも、紙や中庄さんとして紙のあらゆる見せ方に挑戦しています。紙は誰しもが知っている素材であり、一度は触れたことがあるものです。そんな紙の魅力について、考え、発信し続けていきたい。

そして、先日は紙屋中庄さんとして初めての出張「世界の紙のオリジナルノートづくり」をキラリナ京王吉祥寺さんに行なってきました。

開催に向けて、紙屋中庄としてのコンセプトやロゴなどを一から考え直して、Instagramのアカウントも新しく開設しました。

当日は2日間で、300人以上の方が来場して下さり、150冊のものオリジナルノートが誕生しました。「見てるだけで楽しいです!」「紙が大好きです!」と言ってくれる方々が沢山いて、僕らも嬉しくなりました。


この3年本当に色んなことがありました。心を何度も折られたし、諦めそうにもなったけど、その都度色んな方に支えられたし、自分自身で何度も「中庄の新しい事業をつくるんだ!」と言い聞かせてここまできました。

今ではこんなに素敵な仲間がそばにいてくれて、会議で心が折れかけたときも、その都度みんな笑って、半ばバカにしながら励ましてくれます。笑

僕はそんなみんなと一緒に全国各地に「愛おしい」をつくっていける存在になりたい。

こんな長々と気がつけば一万字を超えるまでの文章を書いてしまいました、、。noteを始めてはや3年以上本当にいつも読んでいただきありがとうございます。

これからは、「愛おしい」をつくる紙や中庄さんとして頑張っていきますので宜しくお願いいたします。


「愛おしい」と思える体験価値をより多くの人に届けたい。



紙屋さんをやっていると
「素敵な紙だけど、コレって何に使えばいいですか?」
と聞かれることがよくあります。

なので私たちも紙には何か用途がなければいけないんだ、、、
そのための新たな用途開発こそが紙屋の使命だと考えていました。

しかし、紙を見ているだけでワクワクする瞬間があります

本当は何に使うかなんていうのはどうでもよくて、
見え方や感じ方はそれぞれが考えていくもの。

"なんとなく触れていたい"
"愛でていたい"

と感じるその瞬間が一番の魅力。

私たちはそんな今までの“コレ”
にとらわれることなく感じることのできる

「愛おしさ」を伝えていきたい。



<お問い合わせ>

中庄株式会社 刑部渉(ぎょうぶ わたる)
Mail:gyobu@nakasho.com
電話:090‐8508‐9985

◯中庄株式会社
天明三年(1783年)から続く、東京日本橋の紙屋。創業以来「信は万事の本と為す」という社是を掲げ、長きに亘り紙の卸しを行ってきた。2019年より「中庄の未来をつくる部」を開設し、紙の可能性を模索している。
https://nakasho.com/

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