5月15日の「9の音粋」を振り返る②

5/15(月曜日)
スージー鈴木さんと私がDJをつとめ、選曲を担当している
bayfmの番組「9の音粋」(毎週月曜 夜9時から生放送)に
高野寛さんをお招きしました。

お招きするきっかけと当日の雰囲気はこちらから
https://note.com/mirakki/n/n5e9541a2b7d5

高野寛さんと話して印象に残ったこと、気づいたことがいくつもあったので書き記していきたいと思います。

2014年から高野さんは京都精華大学で講師をつとめ
大学生たちと接してきました。
「志あってこの大学・学部を選んだ若者たちなので
 若者全般が~と言い切ることはできないのだけど」
と注釈を入れたうえで、「大学生と音楽の関わり方」について驚いたこと、
感じたことを話してくれました。

簡単にまとめてみると以下の4点。

①大学1年生と4年生で、すでに影響を受けた音楽が違ったりする
 (いわんや2014年の大学生とここ数年の大学生をや)
②「この世代ならば必ず通った時代の音」というものが、もはやない。
 ひとりひとり、バラバラ。
③アニソンが好き、ボカロが好き、昭和の歌謡曲が好き、
 さらに言うと「ギターソロのある曲が好き」という若者もいる。
 若者の間で割れている。
④YouTubeやサブスクの影響で「時代」を軽く飛び越えられる。
 「アルバムの曲順」はもちろん「〇〇年発売」も気にならない。
 「〇〇という流れの中で何年に発売された~」という文脈などを飛ばして
 曲にアクセスできる。

この4点から「若者をひとくくりにはできない」と
高野さんはまとめました。

生放送中、番組のハッシュタグに

「若者は今こう思ってる」って見出しを付けたがっているのは
誰なんだ という話ですね

というつぶやきがありました。
これを私が読み上げた時の
高野さんの「ニヤリ」とした表情が忘れられません。
「はい、そのフレーズ、待ってました」といった感じ。
私もそのフレーズを言うつもりでいましたし、
まったく同じ趣旨のことを今年の1月2日の生放送で
しっかりと話しました。

「今、若者の間で〇〇が流行している」というのは「幻」であり、
「誰かが作り出したいもの」でしかないことがよくわかります。
その「誰か」の正体もまた、
1月2日の「新春放談」で指摘、明言しました。

いよいよ「流行」の存在を疑うべき時が来ました。

「過去」にいくらでもアクセスできる、できてしまう。
かつて触れることなく通り過ぎたものにアクセスできる。
世に出たのは「過去」であっても、アクセスした人にとっては今で、新作。
しかも、その過去にアクセスしたが最後、
「あなたはこれも好きなはずだ」と新旧問わずレコメンドがとんでくる。
そこにはもはや「先月発売」も「10年前発売」も、何も区別がない。

4月に私が主宰したイベント「SUPER珍盤ZEE」に出演した声優
篠田みなみさんは、インスタグラムにこう書いています。

「流行」は6年半前は確かに存在していたけど、
2023年の今「注目」はあるけれど「流行」って無いと思っています。
それぞれ好きな物があるし、それぞれのツールで好きを発信してる。

とても面白い指摘です。
高野寛さんが教鞭に立った初年度が2014年。
定額で聴き放題となる音楽配信サブスクリプションサービスが
次々に立ち上がったのは2015年。
篠田さんが「その時はまだ"流行"があった」と感じている
2016年。

まさに時代の移り行くタイミングで
高野さんは若者と接していたことになります。

YMOにハマっていた中学時代(1993.4~1996.3)の自分もまた、
限られた範囲ではあるものの
「流行なき世界」を生きていたのでは、と思うのです。
90年台にサブスクはありませんでしたが、
「CD選書」や「ソングライタールネッサンス」など
過去の名盤の再発売がありました。
YMOは「再生」によってオリジナルアルバムが
再発売されましたが、再結成のありなしに関係なく
「レコードのCD化・再発売」が行われ、
本来では知る由もなかった曲やアルバムに出会えたのです。

作り手視点の「流行・トレンド」は存在し、
それに伴う形の消費者の「流行・トレンド」は昔も今も存在する。
ともに絡み合ったり、少し離れたりしながら存在している。

ただ、「〇〇の間で〇〇が流行している」という発信は
今だけでなく、昔も大いに怪しかった。
個々が発信できるツール=SNSを持ったことで
それが明らかになった。

前々から「流行している」と世に発信されることで
本当に「流行」しはじめるものが多い、という実感がありました。
同時に「作られた流行」ではなく
「3か月~半年くらいかけた浸透」で世に広まったものもあります。
実はこの「浸透」は、昔も今もあまり変わっていないのではと思うのです。

動画サイト、SNSによってペースは上がったかもしれません。
「3か月~半年くらい」ではなく「1か月~3か月くらい」の間に
浸透していく。
ピコ太郎の「PPAP」、DA PUMPの「U.S.A.」、瑛人の「香水」
どれも「一夜にして流行った」印象がありますが、
実はそんなことはなく、それぞれ「しみわたっていく時間」が存在していました。
「3か月~半年くらい」の時間があれば
浸透している途中で気づくことができますが
「1か月~3か月くらい」の浸透は、取りこぼしてしまうことが増えます。
「流行を追えていない」のではなく、
とある何かの「浸透」を目の当たりにしている時、
違う場所で別のものが浸透している、すべてに目を配ることはできない。
そして、「目を配れなかった浸透」をいくらでも後追いできる。
もちろん、「人工的に作られた流行」も。
書けば書くほど、網羅している人なんていないことを
確信する。

こんな時代に「〇〇の間で〇〇が流行している」は成立しうるか。
「圧倒的な売り上げを見せているものに関しては成立しているだろう。」なのか。
「知らない、わからない」ことが不安で怖いから、
「知らない自分、わからない自分」でいたくないから、
「知っている、わかっている」としたいがための
「流行の断言」なのではないか。

そして、過去の作品に触れることは「後ろ向き」なのか。
前向き、後ろ向きというが、
そもそも私たちには「前と後ろ」しかないのか。

YMOの足跡を振り返りつつ95年当時のカルチャーを紹介した
「ソリトンSIDE-B」のように、
2023年に軸足を置きながら、
ここ15年ほどを振り返る番組があってもいいのでは。

そんな思いを込めて9時台の最後

やっぱりソリトンをやらなきゃいけないんですよ

と高野さんに向けてつぶやいたのでした。

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