後悔、先に立てておきました!

「後悔先に立たず」ということわざがある。

後悔とは
「自分のしてしまったことを、あとになって失敗であったとくやむこと。」
という意味。これをことわざに当てはめると
「後になって悔やむことは、先にすることができない」となる。
「そりゃそうだ」としか思えない。
それでも人は「後悔はしたくない」と思いながら生きる。
「後悔」は主に「あの時Aではなく、Bを選ぶべきだった」という、
選択ミス、判断ミスが多い。
世に多く出ている「サクセスストーリー」「失敗談」は、
その「選択・判断」をした時の流れ、意図を描写することで
「後悔のない生き方」を提示している。
しかし後悔というのは、このような「選択肢型後悔」ばかりではない。
「あの時、あれをやっていれば」「あの忠告を聞いていれば」という、
「選択肢以前」の後悔も存在する。
正解を選択できなかった理由がそこにある場合も多く、
「Aというボタンを押す瞬間」に対する後悔よりも、
「選択肢以前」の後悔のほうが深いのではないか。

後悔の旗を掲げる

他人の「後悔」は「愚痴」と受け取られがち。
「サクセスストーリー」と比べて魅力的ではなく、
「しくじり先生」のようにエンターテイメントとして受け止めるのも難しい。
でも、「他人の後悔」こそ、「いずれ自分がするかもしれない後悔」で、
今後の人生で多かれ少なかれすることになる「後悔」のうち、
「先に立てることができる後悔」だ。

私は「誰かの後悔」をこの場で先に立てたい。
「立てておきました!」と、後悔の旗をはためかせたい。

後悔の旗を掲げるにあたり、まず「やりなおせるならあのあたりから…」
というのを考えてみた。
現在私は41歳だが、案外「10代に戻りたい」とは思わなかった。
今やっていることの基礎が「10代」にあるからだ。
あまりにも「10代」が「今」と密接に関わっている。
悔いたところで「やり直しがきかなすぎる過去」というのもあり、
あきらめがついている。
古舘伊知郎トーキングブルース 12th 「お経」において
「あきらめる=明らかに見極める」という話が出てきた。
明らかに見極めた瞬間、後悔は消えてなくなる。
また、5~6年前というのも「今」と関わりすぎている。
こちらは「まだやり直しがきく」と思える(思い込んでいる)範囲というのもあり、
「後悔」の旗をたてるに当たらない。

となるといつ頃の自分に「やりなおしがきくなら」と思うのか。
それは「20代」になる。

41歳は、20代をやり直せない

「人の振り見て我が振り直せ」ということわざがあるが
今まさに20代の人や、ハタチなりたての人に
「人の後悔見て我が振り直せ」としてもらえたらと思い、
つらつらと書いていくことにした。

具体的には次回から。
また「〇〇に関する後悔を聞かせてください」という形で
「後悔のお題」をもらえたら、それにあわせて書こうと思う。

10代唯一の後悔

10代に関しては「あきらめがついている」と書いたが、
ひとつだけ「後悔の小旗」を立てるとしたら「英語」だ。
私が中学~高校生だった’90年代の半ば、
「グローバル」という言葉が世の中に浸透し始めた。
学校や塾の先生のみならず、各所で「英語の重要性」を解かれたが
「自分には関係ない」とし、受け止めなかった。
今の仕事(放送作家)で英語を使う機会はあるのかと言われたら「ない」し、
「英語ができず悔しい」という瞬間もほぼない。
それでも後悔のひとつに「英語」をあげるのは、
「できたほうが、仕事やプライベートの幅が広がる」から。
英語ができれば商売相手が「日本」だけではなく「世界」になる。
日本人に受け入れられない商品や発想が、海外では引く手あまた、
という可能性がある。
英語というツールを持っていなければ、可能性を試すことすらできない。
どんな職業においても英語が使えるというのは
「選択肢・可能性が大きく広がる」ことになる。
たとえばアイドルになりたい人がいたとして、
日本で売れなくても、海外でファンがつくかもしれない。
スポーツ選手になりたい人がいたとして、
海外でプレーしないまでも、英語ができれば
海外の一流選手の言葉を理解し、自分のスキルに役立てられるかもしれない。
市役所に勤めたい人がいたとして、
海外から来る観光客へのアピールに100%役に立つ。

仕事だけではない。
私には子どもが通っていた幼稚園で知り合った「お父さん仲間」がいる。
集まると、海外出身のお父さんが複数いて、英語のできる人たちは楽しく談笑。
できない人たちは笑顔で見守るしかない、ということがあった。
会話の内容はわかるが、自己表現ができないとなると何にもならない。
英語ができないことで、知識や感覚などを拡張できないもどかしさを感じた。

10代の自分は
「海外に行く気などないし、英語を使う仕事に就くつもりもないし、就かないと思う」
「自分には関係がない」と切り捨てた。
でも、「関係がない」と思ったものが、将来「関係がある」ものになる可能性は大いにある。
今まで私が「英語」について書いたことは、
おそらく当時の大人たちが言っていたことで、
「聞き流していたこと」を今になって書いている。そんな気がする。

私はもう10代に戻ることはできない。
今の10代がこれを読んで何かを感じてもらえたなら、
「後悔のしがいがあった」と心から思える。

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