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【あたらしいふつう展】2050年のファッション:「服の色を変えるエレベーター」(加藤晃生)

こんにちは!ミライズマガジンです。

「あたらしいふつう」展、企画の「1000人に聞いた未来予測」。第二弾は、コチラの予測をもとにした作品です!

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企画概要はコチラ

テクノロジーとファッションが交わる時、どんな世界が待っているのか。
そんな2050年の未来を描いた作品をご覧ください!

【あらすじ】
 VRが登場しておよそ30年。最初の頃はリアルとヴァーチャルの使い分け、棲み分けで色々と議論や混乱もあったが、今やVRは当たり前のインフラストラクチャーになっている。
 そんなVR空間が発展した世の中で、かつて巨大産業であった繊維産業は縮小の一途を辿り、代わりに服の見た目を自由に変えることのできる「VRアパレル」技術が浸透していた。
【著者プロフィール】加藤晃生
博士(比較文明学)。2019年から小説執筆に取り組み、NovelJam2019グランプリ受賞。またスペインの大ヒット小説「アラトリステ」シリーズやその映画版の翻訳にも関わる。
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 水崎は自分が緊張していることを、充分に理解していた。

 何しろ50億円という発注契約を取れるかどうかの最終関門なのだ。これで緊張しないとしたら、かなりの強者だ。一人、そういう人間の心当たりもある。あいつならこんな瞬間でも淡々と、このドアをノックするのだろう。

 大きく3回、深呼吸をしてから、水崎は重厚なマホガニーの木目が浮かび上がったドアを叩いた。

 水崎は中堅化学メーカーの営業職である。32歳。女性。既婚。同い年の夫と5歳の娘と、3人で東京の西側の郊外に暮らしている。多摩ニュータウンと呼ばれる地域だ。ここは程よく都心から離れていて緑も多く残っており、子育てには良い環境だ。

 仕事のほとんどはリモートで済ませる。

 リアルで同僚と会うことは、あまり無い。宴会ですらここ数年はリモートだ。VR空間で歓談しつつ、本物の酒を飲めるプラグインが登場したからだ。

 ただ、遊びに行く時は別だ。

 娘が生まれる前はよく友人たちとキャンプや釣りに行ったし、MTBでバイクパッキングに行くのも好きだった。夫はキャンプまでは付き合ってくれたのだが、バイクパッキングまでは無理だった。

 コンサートや演劇もリアル空間が生き残っている世界だ。野外のロックフェスやジャズフェス。クラシックのホールコンサート。そしてヒーローショー! 小さい子供はVRデバイスの年齢制限に引っかかるから、スーパー戦隊や仮面ライダーやウルトラマンのショーはリアル空間でなければ体験出来ないのである。

 VRが登場しておよそ30年。

 最初の頃はリアルとヴァーチャルの使い分け、棲み分けで色々と議論や混乱もあったという話を、大学のコミュニケーション論の講義で聞いた。

 そんなことは、今や遠い昔の出来事だ。

 VRは当たり前のインフラストラクチャーになっている。

 その境界を人々はもう、ほとんど意識していない。水崎自身、今自分がリアルとヴァーチャルのどちらにいるのかを気にしていないし、少し考えてみないとわからなくなることすらある。

 部屋の中から「どうぞ」という声が聞こえた。

 さあ、勝負の時間だ。

 部屋の中に居たのは、性別も年齢も肌の色も髪の瞳の色もバラバラな5人であった。唯一、彼・彼女らに共通しているのは、ティア1の化学メーカー「EAC」社の役員であるということだけ。EACは水崎の会社の最大の取引先だ。

 これから水崎は新開発のPVC系コンパウンドの役員プレゼンをするのである。

 年商1000億の会社で一発50億の新規受注を積み上げて帰れば、水崎は英雄になれるだろう。昇進、ボーナス、新しい服。色々な想像が脳裏に浮かんでは消える。それらの最後に水崎の脳裏に浮かんだのは「取らぬ狸の皮算用」というフレーズだった。

 勝負はこれからなのだ。気を引き締めて!

 今日の勝負服として水崎が選んだのは、ネイビーのパンツスーツである。地味も極まれりという一着だが、EACはとにかくお固い会社だ。その役員プレゼンに色物を着て来る勇気は水崎には無い。

 プレゼンはあっけなく終わった。

 反応は良かったと思う。化学業界特有のもっさり感はあるが、結果は数日で出るはずだ。競合となるような素材も出てきていないし、いけたのではないか。

 一礼をして水崎は会議室を後にした。

 エレベーターホールの前で水崎を待っていたのは、EACの調達購買室長の金森である。鬼の金森とか氷雪の女王とかいう二つ名を持つ、恐ろしい女性だ。新入社員が初めて金森の前でプレゼンすることを、水崎の会社では「成人式」と呼んでいる。
 金森に淡々と鬼詰めされると、体育会上がりの連中ですら泣き出すことが珍しくない。

 それほどに怖れられている金森だが、実は水崎とは昔からの知り合いである。

 同じ高校の、同じ部活の、同期なのだ。アニメ研究会の。

 金森は死んだ魚のような目で水崎を見ると、無表情のまま口だけを動かした。

「どうだった?」
「うーん、多分大丈夫」
「ブライアンは?」

 ブライアンはEACの技術担当の専務取締役である。
あそこにいた中でも一番発言権が強い人物だ。

「一番食いついてたかな」
「じゃあ良いんじゃない?」
「金森氏が役員さんたちの情報を色々教えてくれたおかげだよ」
「今度、牛丼おごってくださいね、水崎氏」

  二人はエレベーターに乗り込んだ。

  扉が閉まると、金森は目だけを水崎の方に動かして言った。

「それ、もう良いですよ。これはエントランスホール直行だから」
「あ、そうだね」

 水崎のスーツの色がネイビーからモスグリーンに変わる。金森は水崎が暗色をあまり好んでいないことを知っているのだ。

 二人は牛丼屋に行く約束をしてからエントランスホールで握手をして別れた。建物を出て10mほどのところで水崎が振り返ると、既に金森の姿は無かった。水崎はVR空間からプラグオフして、自宅の書斎へと戻った。

 西暦2050年。

 かつて巨大産業であった繊維産業は縮小の一途を辿り、現在では30年前の10分の1の売上しかない。世界全体で、である。水崎の会社も昔は繊維産業向けにポリエステルやナイロンのコンパウンドを大量に売っていたが、繊維産業は2020年頃からマイクロプラスチックと地球温暖化という二つの大問題の挟み撃ちに遭い、その規模は縮小を余儀なくされた。

 しかしアパレル産業が無くなったわけではない。売上規模はむしろ増えている。

 繊維産業が縮小したのにアパレル産業は縮小しなかった。その秘密はVR空間にある。

 VR空間での「外出」が一般化するにつれて、VR空間用の服のニーズが爆発的に増大したのである。かつてビデオゲームの世界で「スキン」と呼ばれていたものだ。VR空間内での自分の見た目を変えるのだ。

 かといって、実名を使って仕事の場で「着る」以上、FPSゲームのように顔貌から全て変えてしまうこともしづらい。そこで広まったのが、服だけを売る「VRアパレル」であった。

 今やVRアパレルは百花繚乱である。有名デザイナーも多い。リアルの服では不可能だったことも、VRアパレルなら可能だから、斬新なアイデアが次々に登場している。

 同じVR服の色を変更出来るのは当たり前の機能になった。

 色変え機能の他にも、型紙のレベルで服の形が変化する「モーフィングクロス」(morphing cloth)であるとか、表面のテクスチャが動く「アニメーションクロス」などなど、現代のVR服の世界は多彩だ。

 これらが出てきたときには、そんな機能に何の意味があるのかと水崎も思ったものだが、実際にそれらの機能を使ったVR服を見てみると、感心してしまうくらいに上手くデザインに取り入れられているのである。

 人類の創造力には、切りがない。

 ちなみに今日、水崎が使ったのはベーシックな色変えの機能だ。これは3年前に買った仕事用のVR服なのだが、プリセット色が絶妙なのと、色を変えれば固い会社から柔らかい会社までどこでも着ていけるので、重宝している。先程エレベーターの中で「着替えた」ように、「外出」中に色を変えることも多い。

 現代ではVR空間の性質を会議室やコンベンション会場のような「現場(On the Venue: OTV)」と、廊下やエレベーターのような「移動・偶然・群衆(transit, casual and mob:TCM)」の2種類に分けて考えることが一般的だ。

 これには二つの理由がある。

 一つは、自宅からいきなりプレゼン会場のような空間にスポーンするのは、技術的には可能であっても、人間の心が疲労してしまうことがわかったから。

 もう一つは、予期しない、肩ひじを張らない、注目されないコミュニケーションの場が人間社会では極めて重要だと考えられているから。
 
 こうした認識が広まった今、VR服もOTVとTCMを切り替えるのが当たり前になった。たとえVR空間の中であってもOTVでは気合いの入った服、TCMではリラックス出来る服を着たいものなのだ。

 水崎は後頭部からブレインインターフェイスを外してポケットに仕舞うと、VRチェアから立ち上がって伸びをした。

 そろそろ娘が幼稚園から園バスで戻ってくる時間だ。お迎えに行かなくては。

 水崎が着ているのは10年前に冬のボーナスをはたいて買ったミナ・ペルホネンの黒いワンピースである。素材は絹と木綿の混紡。スカート部分に美しい刺繍が施されている。当時で15万円した。それに消費税。1セット数千円が当たり前なVR服に比べると桁が二つ違う。だが、値段に見合う経験を今も与えてくれている。

 かなりくたびれてきたが、それがまた良いのだ。

 VR服は一定期間が経過すると強制的にデータ消滅させられて「着られなくなる」ものも多いし、それがビジネスとして必要なのもわかる。わかるのだが、本物の服が自分の人生の時間経過に沿って変化していくこの経験はどうだ。この生地の柔らかくくたびれた感じが、自分が生きてきた10年間を手に触れられるものにしている。
 これはいくらVRが発達しても置き換えることは出来ないだろう。

 園バスが近づいてくる。

 今日の仕事は終わり。あとは娘との時間だ。

 EACの受注が取れたら、久しぶりに、今度は娘と一緒に代官山のミナ・ペルホネンの店に行ってみようか。自分へのご褒美に、また15万円のワンピースを買っても良い。次の10年間をともに生きる服として。

(了)

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「2050年のファッション」はいかがでしたでしょうか?
引き続き様々な未来をお届けしていきます。お楽しみに!

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