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【あたらしいふつう展】2050年の介護:「あなたへの家路」(琴柱遥)

こんにちは!ミライズマガジンです。

「あたらしいふつう」展、企画の「1000人に聞いた未来予測」。
今回は、コチラの予測をもとにした作品です!

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企画概要はコチラ

今回のテーマは、ロボットが人間を介護するようになった世界。
そんな2050年の未来を描いた作品をご覧ください!

【あらすじ】
 白湯で薬を飲み、ゆっくりとコーヒーを味わい、歯を磨き、出かける準備をする。その間もずっと白い犬はぴったりとわたしの足下によりそっている。わたしの手を舐めれば汗に含まれた化学物質から細かな健康状態が分かり、バイタル情報はこの一帯の老人の健康管理を一手に担っているセンターへと送信される。もしわたしに何かがあれば、この白い犬伝いに事態を知った誰かがすぐに駆けつけてくれるだろう。
 ペットを模したロボットが人間を介護するこの世界で、ナイトウは仲良しのチエさんが待つカフェへと足を運ぶ。
【著者プロフィール】琴柱遥
「父たちの荒野」で第三回ゲンロンSF新人賞(後に「枝角の冠」に改題)。「讃州八百八狸天狗講考」(SFマガジン6月号)「人間の子ども」(ゲンロン11)など。

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 朝起きると布団の中に大きな白い犬がいて、わたしの頬をぺろりと舐めた。普段はベッドの中にまで入ってこないのに、と考えてすぐに、昨晩ひさしぶりにぐっすりと眠れたのは白い犬のおかげだと気がつく。ここ数日で気温はぐっと低くなり、結露した窓の向こうでは昨日まで美しく紅葉していた桜の葉がほとんど散りかかってしまっている。

「ありがとうね、シロ」

 わん、と白い犬は一声鳴いてベッドから降り、尻尾を振りながらそこに立つ。わたしは犬の背中に捕まりそろそろとベッドから降りる。毛皮におおわれた背中はがっしりと堅牢で安定感がある。ぎしぎしと膝が音を立て、背中が痛む。それでも寒さにも気付かず薄い布団で寝ていた昨日よりはずっと身体の具合が良い。
 そういえば今日はデイサービスに行く日だったかしら。ぐっと冷え込んで来たことだし暖かいお風呂を貸してもらうのもいい、予定が合う人がいたら若い頃に好きだった舞台の動画を出してもらって一緒に観賞するのもいい。そう考えながら小さなキチネットでスープサーバーからポタージュを注ぎ、トーストを焼いてコーヒーを淹れる。白い犬はわたしの足下によりそって、尻尾をぱたぱた振っている。
 ああ、そういえば。

「今日は、チエさんの娘さんがこちらにいらっしゃる日でしたっけ」

 そうですよ、と言うように、ワンと一声犬が鳴く。
 わたしの家にはじめて白い犬が来たのは、仕事帰りに転んで腕を骨折した日のことだった。

「まあ念のため、見守りをつけておきましょうか。何がいいですか? 犬? 猫? 他にもいろいろいますから、帰りにリクエストを出しておいてくださいね」

 骨折そのものは発泡フォームで固めて簡単に済ませることができたけれども、どちらかというと足腰の方にガタが来ていたらしい。仕方がない、もう70も半ばだ。介護が必要な歳だということはすんなりと受け入れられたけれども……犬? よくわからないままマニュアルを受け取り、犬やら猫やらよくわからないモチモチした生き物やらのうちどれかを選べと言われて犬を選んで。そうして数日後にうちへとやってきたのが、この白い犬だった。
 白湯で薬を飲み、ゆっくりとコーヒーを味わい、歯を磨き、出かける準備をする。その間もずっと白い犬はぴったりとわたしの足下によりそっている。わたしの手を舐めれば汗に含まれた化学物質から細かな健康状態が分かり、バイタル情報はこの一帯の老人の健康管理を一手に担っているセンターへと送信される。もしわたしに何かがあれば、この白い犬伝いに事態を知った誰かがすぐに駆けつけてくれるだろう。
 そうして一人にしておいて欲しいときには、犬はそっと姿を消してくれる。
 親元を離れてからもうずっと一人暮らしを続けてきた。今でも一人で泣きたいことぐらいある。

 デイサービスに行く予定を変更し、チエさんのお嬢さんが訪ねてくるというカフェに行く。散歩がてら、今日は歩きで行くことにする。この辺りは特区に指定されていて65歳以上の高齢者を対象とした控除や補助が色々とがあるため、あたりを見ると老人の数がやたらと多い。そのほとんどが白い犬か猫を連れている。あるいは羊、やたらと大きなウサギの類い、動物が苦手な人向けに作られた名称不明の歩くクッションのような生き物の他に、小型のゾウや白いダチョウといった変わり種を見かけることもある。老人も様々、老人の趣味も様々だ。
 このあたりは海が近く、強い風が吹くと窓のガラスや遊歩道の手すりがじゃりじゃりと塩っぽくなる。かつてはホテルだったという建物を改装したデイサービスの隣にはカフェが併設されていて、日よけのパラソルの明るい黄色やおだやかな青が広いテラスの上に咲いていた。チエさんの姿が海の方を向いた大きな窓の向こうに見える。わたしが手を振るよりも先にチエさんの猫がわたしに気付く。熊の子どもかと思うぐらい大きいけれど、手足の太さや頭の大きさのバランスをみるとやっぱり猫なのだろうと思う。ガラスの向こうからこちらを見て、大きな声でニャアと鳴く。―――鳴いたのだろう。チエさんの隣に座っていた青いワンピースの女性がこちらを見る。店内に入ると椅子から立ち上がり、ぺこりとこちらにお辞儀をする。

「お久しぶりです、ナイトウさん。いつもママがお世話になっています」
「いえいえ、こちらこそ。何しろむさ苦しい独り者ですから、チエさんには逆にご迷惑をおかけしてばっかりで」
「そんなことないわよね、ママ。ねえママ、ナイトウさんと一緒に桃をいただきましょう」

 チエさんは何にも言わない。口をぎゅっと横にひとつに引き結んで、強情そうに黙っている。あ、今日はそういう日なんだな、とわたしは思う。チエさんはたくさんおしゃべりをする日と、逆にまるきり黙ってしまっている日とがはっきり別れているのだ。今日は何にも言わないぞ、と決めた日のチエさんは、首を縦に振ったり横に振ったりすらしようとはしない。
 チエさんはわたしが昔好きだったアイドルに少しだけ似ている。
 ふわふわした白い髪と細い肩。藍染めの陶器のような更紗のワンピースを着て、白い貝殻のような耳に真珠の耳飾りがポツリと止まっている。後ろ姿の頑なな様子に十代の少女のような青さを感じるのは、たぶん、わたしがチエさんのことをとても好きだからなのだろう。
 テーブルの上にはガラスの器に盛られた桃があり、ハーブティーのポットがある。わたしもアイスティーを注文する。きれいに皮を剥かれた桃の上にはホイップした生クリームがかけられている。わたしは自分の分を勝手に取り分け、にっこりとする。

「チエさん、一緒に召し上がってもいいですか?」

 チエさんは恍惚の人だ。
 仲が良い、とわたしのほうが勝手に思っているけれど、チエさんのほうから見てどうなのかは知らない。だいたい初めてあったときから、チエさんとは上手く言葉が通じなくなっていた。わたしはその時々でチエさんの友人になったり娘になったり、あるいは赤の他人になったりする。
 二人でひとつの皿を分け合って、わたしは冷たい桃を自分の口に運び、それからチエさんにも食べさせてあげる。チエさんの猫は足下に丸くなってあくびをしていたので、指につけたクリームをこちらにも少しなめさせてやる。

「ママはナイトウさんといるときが一番楽しそうです」

 娘さんは笑った。

「なんだお前、おれがいなくなったからって彼女をつくったのか、ってパパに驚かれちゃう」
「彼女にしてくれてるんだったら嬉しいけど、チエさんのほうはどうかな。せいぜいお友達ぐらいだと思うんだけど」
「うーん、ママに直接確認できるんだったら聞いてみるんですけど。ねえママ、どうなの? ナイトウさんは彼女? それともまだお友達?」

 チエさんは顔をしかめ、ぷいと横を向く。「ママが恥ずかしがってる」と娘さんとわたしは笑い合う。
 ここから少しバスで行ったところには桜のきれいなところがあるし、水族館や動物園に行くツアーが計画されることもある。秋頃、近所の中学校のブラスバンド部が野外劇場で演奏を行ったときには、わたしもチエさんと一緒に見に行った。めずらしく最後まで座って聞いていたのだから、きっと音楽が好きなのだろう。わたしがピアノを習っていたからかもしれませんね、と娘さんは言った。

「本当はもっとちゃんと、ナイトウさんにはご挨拶に上がりたいと思っているんですけども」
「いいんですよ。今どこに住んでるんでしたっけ、台湾?」
「いえ、オーストラリアです。仕事の関係で。時差がないのは助かっています」

 同じテーブルについていても、娘さんがわたしたちと一緒に桃を食べることもなければ、ハーブティーを飲むこともない。けれどもこうやって親に差し入れをして欲しいと依頼することはできるし、遠くに暮らしていてもVRでなら毎週のように尋ねてくることもできる。

「こっちだと今、マンゴーが美味しいんです。ぶどうも色んなかたちのものがあって面白いんですよ。今度は日本だとあまり見ない果物も送ります。よかったらまた、ママと一緒に食べてくださいね」


 彼女。
 わたしは独り身でこの歳まで生きてきたことを後悔したことはない。元から恋愛に興味がなかったこともあるし、友人に恵まれ、食べるのに困らない程度の仕事にありついてきたのだから不満もない。ただこうやって人生の終わりになって思うのだ。誰かを好きになって一緒になり、生涯を共にするというのはどういう感じだったのだろうと。
 今日は月がまぶしい。テイクアウト専門店で受け取った豆腐のハンバーグに今夜のスープ、これは自炊した炊き込みご飯とからし菜のおひたしで夕食を済ませると、白い犬がわたしの膝に顎を乗せてくる。なあに、と耳の下を撫でてやると、チチッ、と小さな電子音がする。小さなテーブルに置きっぱなしにしてあるディスプレイに文字と地図が表示される。
 チエさんは外を出歩くことがとても多い。
 わたしは椅子から立ち上がる。

「チエさん」

 白い犬が教えてくれたほうへと歩いていくと、海沿いの遊歩道を歩いているチエさんを見つける。チエさんの足下には白い猫がまぼろしのように付き従っていた。真っ直ぐに前を見つめ、断固とした足取りで歩いて行く。

「どこへ行くんですか、チエさん」
「うちに帰るんですよ。うちはこっちの方角なんですけど、バスがどうしても来ないんです」

 はっきりとした口調だった。その間もチエさんは足を止めない。わたしは少し笑い、チエさんに並んで歩き始める。
 チエさんが言っている家というのは、幼い頃に両親と暮らしていた家だということは知っていた。その家がとっくにもう無いということも。でもチエさんにとってはいつまでも帰りたい家は帰りたい家で、一度は諦めたり、忘れたりすることはあっても、またすぐに帰りたくなってしまう。
 もし転びそうになったら猫が間に入って怪我をさせない。危険なところに入りそうになったら止めてもくれる。どこにいるかはモニターされている。疲れてしまったら無人タクシーが迎えにくる。それが分かっているから、わたしは何の心配をすることもなくチエさんと一緒に歩く。今日は月がきれいだ。月が見えない日は星がきれいだ。チエさんと歩くときはいつもそう。でも、いったいいつまでこうやって一緒に歩いていられるんだろう。
 わたしはそっと手を伸ばす。硬く握りしめられたチエさんの拳の上に、手を重ねる。

「チエさん、わたしたち一緒に行きましょうねえ」

 そうしてわたしたちは白い犬、白い猫を連れて、二人歩いて行く。チエさんの帰りたい家のほうへ、故郷へ続く道を。

(了)

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「2050年の介護」はいかがでしたでしょうか?
引き続き様々な未来をお届けしていきます。お楽しみに!

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