ミライの仕事はミライのもの。
8月の1カ月は子どもたちと夏休みを満喫(奮闘とも言う)しつつ、ご縁をいただいてAIについて少し学んだ月でした。
ChatGPTはなんとなく使ってみたことがあって、その精度の高さと汎用性の高さに驚いてはいたのだけれど、
「いやこれ私の仕事なくなるね?」という不安感と
「これからの子どもたちはより一層脳みそ使わなくなるのな?」という嫌悪感の方が強かったことは確か。
しかし1カ月ざっくり学んでみるとですね。
違う感情が生まれてきました。
「人間ってやっぱすげぇのな」
例えば2000字の文章を生成してもらうとして、精度の高い文章をつくってもらうにはまず精度の高いプロンプト(システムに対する指示書みたいなもの)を入力する必要があるし、
その文章を誰に向けて何のために書くのかという大前提や、クライアントの要望やペルソナもしっかり咀嚼して指示する必要があるし、
AIが生成した文章をより精度の高いものに完成させるためには、やはりそれなりに知見と経験を備えた人間が修正の指示を加えたり、最終的に推敲したりしなければならないということ。
AIは0→1ベースの部分をサポートしてくれるものであって、その精度も、その先の完成度も、結局は人間の手腕にかかっているのだ。
あくまでも現時点では、だけど。
これ実際に私が書いたプロンプト。
ここから、STEPごとにAIが生成してくれた文章に修正指示を加えたり、自分で推敲したりするわけだけど。
自分でこのプロンプト書いてて生まれた感情が、
「ちょっと待ってくれぃ。こんな面倒くさいことを私はもう20年近く自分の脳みそひとつでやってきてるんじゃん。すごいね?わたしエラいね?」
という過去最大の自画自賛でした。
「しかも結構書くの早いよ?いやそりゃAIには負けるけどさ、AIよりちょっとは融通きくし、ハートウォームな文章書くよ?え?」
ってなりました。
でもなんか、そこがとっても重要だったなと思っていて。
「私にしかできない仕事なんてないんだよな」っていう、どこか諦めみたいな感情を持ちながら淡々と仕事をしてきたのだけど(実は)
本当はそうじゃなくて、私だから汲み取れているクライアントさんの雰囲気だったり、言葉にできていない言葉だったり、知られていない魅力みたいなものがあって。
それを元に、私だから生み出せている言葉とストーリーと世界観があるはずなんですよね。
なんかそれを、逆にAIに気付かせてもらった感じでした。
それからというもの、私はAIと割と仲良しです(割と)。
AIはほんと決して完璧じゃなくて、
「オマエこんなことまでできるのに、そんなことも知らんのか、はーっはっはっはバカめ!」みたいなこともあります(←)。
なので現時点では、使い方・使う人の手腕が問われるツールではあるのは確か。
アイデア出しはとてもよくやってくれるので、今は私の良きサポート役になってくれています。
ちなみに、「ChatGPTにライターという職業を奪われそうで怖いです。」とChatGPTに聞いてみたら、こんな答えが返ってきました。
そういうことなんですよね。
(優秀すぎて嫉妬)
… 何はともあれ、もうAIの発展を止めることはできないし、我々の生活や教育に今まで以上に入ってくるのは間違いないので
子どもたちが悪用したりされたりする前に親がある程度の知識を身につけておくという意味でも大切な学びになりました。
AIリテラシーってやつですね。
プレゼンのシミュレーションや営業の壁打ち相手にもなってくれるし、もちろん文書作成や画像生成してくれるし、仕事だけじゃなくて夕飯の献立考えてくれたり、ToDo リスト作ってくれたり、家計簿作ってくれたりもするので、万能な秘書を得た気分で気軽に使ってみると良いと思われます。
ちなみにこのブログは、めっちゃミライ節で書いておりますのでお見知りおきを(笑)