一日一捨を2週間続けて気づいた自信のなさと、Mamikoのパリ・デュアルライフ
このまま進めば、夏に引越しをすることが決まりそうだ。まだローン審査の最中なので仮決定だが諸事情で年内に引っ越さなくてはならないので、早かれ遅かれこの家を出ていくことになる。
これまでの引越しと決定的に違うのは、2歳の息子がいること。イレギュラーな体調不良もあるので引越し直前に追い込んで片付けをするのは難しい。
そこで、新居の契約書にサインした日から「一日一捨」をルールにコツコツ片付けを始めている。
クローゼットの服は20着以上を処分し、息子の知育グッズもかなり片付けた。ぎゅうぎゅうだった本棚に隙間ができたり、無くしたと思っていたネックレスを上着のポケットから見つけたり、なかなか嬉しいこともあった。
ものを捨てる、減らすことに"正しさ"を感じるのは私だけだろうか。逆にたくさん買うこと、溜め込むことには後ろめたさがある。
私の育ち方が影響しているのかもしれないし、もしくは清貧、持たざる美学は仏教的な価値観かもしれない。いずれにせよ次第に片付けよりも捨てる行為そのものが目的になりつつあった。
そんな折、たまたまテレビで「Mamikoのパリ・デュアルライフ」という番組を見た。
エッセイストである井筒麻三子さんのパリでの日々の暮らしと、郊外でデュアルライフに挑戦する姿を追うドキュメンタリー。
30分程度の短い番組ながら、随所にフランスらしい古いものを大切にする価値観と、Mamikoさんのちょっとした工夫で日々を豊かにするヒントが垣間見えてすっかりお気に入りの番組になった。
Mamikoさんはよく買い物をする。
食器棚には二人暮らしの割にたくさん重ねられたお皿、さらに蚤の市で五千円近くするお皿を買っていた。かわいいけれど、いやそんなに皿要らんやろ、と突っ込みたくなってしまう。
古いものへこだわりがあるわけではないらしい。最終的には「Mamiko基準だから(これでいいの)」と言い切る。
うーーーん清々しい!!日本で暮らしているとコスパが、タイパが、メリットがデメリットがと、いかに損をしないよう賢く生きていくかにスポットが当たりがちな気がする。言語化されたものが正しくて、曖昧な状態はたまらなく不安になってしまう。
捨てることも、買うことも、すべては自分が幸せに豊かに生きるための手段のはずなのにね。適量は人によって異なるし、月日が経ち環境が変われば基準そのものが変化することもあるだろう。論理的な人が必ず幸せとは限らないじゃないか。
自分の内側に自分だけのものさしを持つ。たったそれだけのことがなんでこんなに難しく感じてしまうんだろう。「私がこう感じたから、これを選ぶ」。本当はたったそれだけでいいはずなのに。
突き詰めると自分に自信がないんだろうな。自分の選択に、感覚に自信がないから、他人から引っ張ってきた価値観に無理矢理でも自分の価値観を寄せて正当化したいのかもしれない。
もやもやと自問自答を繰り返しながら、自宅の整理をする日々です。引越しが終わるまでにMiori基準は見つけられるのかな…(笑)。
オチはないですが、今日はこの辺りで。それでは、また!
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