見出し画像

趣味仙           

                              未来不

「あやめさん」
「はい」
「ひとつお願いがあります」
「なんでしょう」ちょっとドキドキする。
「百年先、あるいは千年先になるかわかりませんが、もしも来世でお目もじ叶いましたらそのときは……カケオチしていただけますか?」
 よかったぁ、今ここで〈接吻申請〉とかじゃなくて。
「いいですよ」ホッとしたはずみで応じてしまった。
「ありがとう。これで思い残すことはありません」
「でも二人して同性になっちゃうかもしれませんよ」
「だいじょうぶ。年取りゃあみんな性別不詳の面白イイ顔になってゆくのですから」
「ふふ。まるで観音ですわね」
 
 病院からの帰り途、西陽に染まる下り坂を見下ろす十字路で信号待ちしてたら、ふいに涙が出てきてびっくりした。まだぜんぜん悲しくないのにどうしてなんだろう。オンナノコ100%じゃなくなっても気の迷いだけで泣けるもんだろうか。
 後日人づてに聞いたところによると、師匠の入院は癌とかじゃなく脱腸の手術で術後5日目にはサクッと退院したんだそうな。さらにはあたし以外にも〈来世のカケオチ〉を依頼された女性が何人かいたらしい。坂の上での落涙が泣き損みたいであほらしくなったが、キモチのどこかで予想していたことでもあった。
 
            *
 
 その後本人からは何の連絡もないまま3年が過ぎたある晴れた日、とつぜん師匠の奥さんから連絡があり自宅へうかがうことになった。
 2週間前の朝、起きてこないので様子を見にいったら寝床でヒトガタの砂になっていたという。かけつけた長男も確認してみたがやはり生体の痕跡はみつからなかった。享年73歳。つねづね口にしていた仙人願望と関係あるかどうかは不明。ともあれ遺体というか砂体をどうするかだが、かねてより云われていたとおり書棚から死後?についての指示書がみつかり、家族で協議のうえそれに従うこととなった。具体的には失踪扱いであり、すでに散骨ならぬ散砂はすませていた。若い頃バイクでよく走りに行ってた峠の展望台から撒こうとしたら、いきなり突風がドウと吹き渡り、一同地面に伏せたり手近な手すりにしがみついたりして難を逃れた。数分後に風は止んだが、持参した砂嚢には一握の砂も残されてなかったそうだ。
「あたくしもですが、信じられるかどうかはともかく現実に夫は消えました。おそらく戻ることはないのでしょう。ならばあの店と燗酒師を継いだ貴女にも目を通していただきたいのです。ほかに遺言書のたぐいはみつからなかったので」
 A4コピー用紙にプリントアウトされた件の文書を渡された。
************************************************************
①全身くまなく砂化(砂人化)していた場合、自分の本望である尸解が完遂された結果であるから悲しむにはあたらず、むしろ慶賀すべき状態である。ただし俗界でいうところの遺体は存在せず死亡診断・検案を行うことができないため、遺産相続・死亡保険金支払いなどに支障が生じる。よって別途用意した失踪宣告書を警察に提出し、市役所には住民票の職権消除手続を依頼しておき、7年後に家庭裁判所に失踪届を申請して失踪宣告を受けること。手間をとらせて申し訳ないが最後のわがままと思って許していただきたい。なお砂のほうは県北の山中に蒔いてもらえたら嬉しい。
②通常の遺体、あるいは砂化してはいるものの遺体と判断し得る身体パーツが残存している場合は残念ながら転仙は失敗している。異状死として警察に連絡し所定の手続きに従うこと。かなり難渋はするだろうがいずれは死亡届を出せるようになると思う。
 
希夢子へ
ありがとう、楽しゅうござんした。いつか来世でめぐりあえたら、また連れ添うてくださいやし。
タツミ
************************************************************
(なんだよもう、じぇったいに駈落ちなんざしてやらんからな。千回頼まれても願い下げだ。これだから久米仙て奴ぁ……)ぶつぶつくどいていたら奥さんに笑われた。
「さあ、これ持ってもうお帰りなさい。あのひとのレアな正直成分が入ってるわ」
 手渡されたちっちゃな空色の紙袋をサコッシュに突っ込み、ペコリとお辞儀をして外に出た。
 その晩から高熱が出て4日間、店を休んだ。
 
 紙袋の中身は同梱のメモによると、かねてよりの遺言どおりに仕立てたという砂時計だった。ぱっと見3分計くらいだが底面に〈Easy Null〉と刻印されたそれは不思議なことに、お湯の温度設定を間違えていても理想のぬる燗になるよう砂の落下速度が勝手自在に変わるのだった。
 ある日思いついて、熱めの湯を張ったバスタブに浸かってセットしてみたら30秒ほどで落ち切ってしまった。鼻の奥がツン、てなった。天井からも雫が1滴、モヤった湯面に当たって散った。
 両目を閉じ、耳をすませる。
――ねえ師匠――
「あたしゃ酒かよ?」
                               (了)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?