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2019.10.20「発達障害とともに軽やかに生きる」イベントレポート(1) 連載第1回【全5回】 中村陽介氏講演<前編>

2019年10月20日(日)、調布市市民プラザあくろすにて、発達障害の子どもを持つ家族のためのセミナー「発達障害とともに軽やかに生きる」を実施しました。発達障害に係る多くの課題が共有されました。今回は第一部・中村陽介氏ご講演前半の内容をご紹介します。

<当日の構成>

【第一部】発達障害を抱えながら職業生活を送る中村陽介氏の体験談

【第二部】昭和大学烏山病院に勤務する臨床心理士・横井英樹氏/大人のデイケアプログラムについて

【第三部】パネルディスカッション

1.児童期~空気を読まず、先生と衝突

簡単に自己紹介をさせていただきます。児童期は親の駐在でジャカルタにいました。小学校1年生の3学期から6年生までジャカルタで過ごし、その後帰国して公立中学校に進学しました。高校は私立で、一浪して大学に進学。新卒でホテル業界に就職。そこで生きづらさを感じ、体を壊しました。以降、病気と向き合いながら2013年、28歳の時に広汎性発達障害の診断がつきました。就労移行支援を受け、契約社員、障害者雇用枠を経験して今現在に至っています。2019年8月、再度の診断では奇しくも広汎性発達障害の診断がつきませんでした。

28歳で発達障害の診断がつくまで、たくさんの苦労がありましたが、何とか生きてくることができました。この自分の経験を伝えることが誰かの役に立つのではないかと思い、このセミナーへの登壇を決めました。保護者の方や当事者の方に何かのヒントをお持ち帰り頂ければと思います。

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これは小学校2年生の時の作文です。今、小論文や作文を書けと言われてもできません。振り返ってみても、よく書けたなと思います。多分、書いたものをあまり否定されなかったのが、よかったのではないかと思います。論理的な文章は書けないので、添削などでいろいろ言われてしまうことで、書くこと自体に抵抗感を持つようになったのだと思います。

小学校の時、友人には恵まれていましたが、学校の先生とのコミュニケーションにはすれ違いばかりでよく怒られていました。5年の頃のことです。体操の時間に雨が降ってきました。「練習を止めましょう」と言ったことで、担任の先生を怒らせてしまったことがあります。「みんなが一生懸命練習しているのにどうしてそんなこと言うんだ」と。先生に対しては空気を読まずストレートに思ったことをぶつけていたなと思います。

2.中高生時代~楽しくない勉強

中学校になっても、学校の先生との関係は良好とは言えず、思春期に入ったこと、転校などもあり人間関係に恵まれず、先生との衝突が絶えませんでした。

それでも勉強は好きでした。しかし、復習の仕方が分からない。勉強には復習が欠かせないわけですが、何回も書いて読んでも、口に出しても知識は定着しませんでした。特に苦労したのは、大好きなはずの英語でした。スペルやアクセントがなかなか覚えられない。次々と新しい単元に進みついていけない。そんな連続でした。

得意不得意が極端でした。同じ英語でも英文法が得意でも要約が苦手。理科では生物は得意でも、化学や物理になると全く興味が湧かない。あと化学式などは構造が複雑すぎてついていけない。数学では決まりきった計算や公式を使うものは解けても、頭の中で論理展開が求められるものには対応できない。とにかく勉強では苦労の連続でした。

もっとも学びやすかったのは英語でした。母が英語教師だったのに加えて、言語構造が日本語より分かりやすかったからだと思います。異文化理解に興味があったのもよかったのでしょう。私は耳から情報をとるタイプでした。ジャカルタにいるときに英会話の個別指導に通っていました。先生には常に「間違えても英語しか使うな」と言われ続けました。ミスをしても決して怒らず、褒めてくれる方だったので、その経験が自己肯定感を醸成してくれたのではないかと思います。おかげで成績も上がりました。

日本に帰国してからは座学中心で詰め込み型の教育になじめませんでした。良い点をとって喜んでいると先生から調子に調子に乗りすぎないよう諫められ、点数が悪ければそれはそれで指導を受けます。周囲との関係もぎくしゃくしました。負のスパイラルに陥り、勉強は楽しいものではなくなりました。

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3.大学生活~卒論提出に七転八倒

勉強は面白くありませんでしたが、大学には行きたいと思い、予備校に通い始めました。予備校の授業はとても面白かった。ただやはり定着は進まず、大学受験は苦労しました。それでもなんとか一浪して大学に入学することができました。

大学はとても自由で、履修の仕方やカリキュラムが予め明示されていたので、決められた通りにやれば良いという道筋が見えたことで、学校生活でのストレスは感じませんでした。困ったのはレポートや論文の提出です。先ほども述べた通り私は書くことが苦手です。だから自分が興味あるものでも、レポートや論文提出が必要なものは履修しませんでした。ある科目では徹夜で丸暗記、試験に臨み何とかやり過ごしました。

卒業論文が必須でした。自分で論旨をまとめることができなかったので、膨大な量の文献を引用し提出。恩師の指導を受けながら、そこに自分の意見を加え、最終的には評価を得ることができました。【後編に続く】

講演者プロフィール

>>>中村陽介氏
28歳のとき、広汎性発達障害および双極性障害との診断を受ける。ホテル等の接客業を経て、現職は不動産業界にて総務、一般事務。


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