陽の光で目覚める朝は描画だと思う

 偶発的に早起きできてしまったときになんで目が覚めちゃったのだろうかなどと思います。本質的には得をしているはずなのに、十分寝れなかったのではという不安が頭をよぎり早起きさえもポジティブに捉えられない自分に頭がさめざめしてしまう朝なのです、こんばんは、首からつま先まで暑いですね。

 衆目に晒されるのも常に誰かと比較されるのもその対処として自信を担ぐことも、基礎代謝が増えるなと日々思います、あぐらをかいて祈っていてもカロリーは空から降ってこないし、外を歩けば病は風に乗って来るし、身体中の細胞は泡沫の日々を過ごすし、すべて光合成で賄えるなら良かったのですが。ほとほと人力で補おうと休日、喫茶店に行くなどすると時間の流れが体感と違うせいか、いてもたってもいられなくなるのです、心地良いはずの店内のラウドネス、やはり街道通り道、喧噪でしか満たされないラップセンス。

 精神を安定させるために定期的に本屋に行くのですが、気になった本を数冊手に取って持って見て回っていて、その本屋さん独自のオススメコーナーに自分の頭の既読棚にある本が置いてあると嬉しくなる反面、それらのあらすじや感想が鮮明に出てこないとき、今から向き合うであろう本に目をやり、やはり自分にはもったいないのではないかと思ってしまう。それを振り切って本を買うにはエネルギーとほんの少しの自尊心が必要なのです。得手不得手といいますが、本を見るのは得手、本を買うのは不得手にあたります。

 エモいは形としてありうるのでしょうか、あるとしたら固形物なのでしょうか。メロンソーダやレトロな喫茶店はその重圧に耐えきれるのでしょうか。もしこのままエモが増えていって、既出のエモであふれてしまったとしても、エモいの市場価値は下がらないのでしょうか、感情ガチャでエモがアンコモンになっても限定版イラストなら高値で取引されるのでしょうか。

匿名ラジオ/#221「今更でごめん!結局『エモい』って何なの!?」 - YouTube

 あたしが好きなラジオです、よく寝るときに流しています。

 ふと書いていた日記を読み返していたのですが、最近めっぽう自分への鼓舞が多いなと思います。紙面に文字を整えてその力で自己肯定を試みる道中で挫折して、精いっぱいの声援の投球、ワンバウンドの跡が散見されて、自己補完がすごく歪だなと思うのです。
 息を少しずつ吐きだしてプールの底に沈んでいって、屈折でぼやけて見える外の光を眺めたことがありますか。つぼを少しずつ割っていって、どこをどこまで割ったら形が崩れ落ちるか試したことがありますか。部屋の明かりをゼロにして、暗闇に目が慣れたら自分の普段過ごす部屋に何が見えるか試してみたことがありますか。全てとても綺麗なのです、でもこれらに名前を付けられることも甲乙良否定められることもどうにかいたくいとうございます。これらは美よりも悲哀に近いのですが号哭は角立っているでしょうか。
何かできそうな夜更かし、脳内紹介お住まいツアー、思考は潮解、能才足らず当社比早退です。



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