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吉野家の「生娘シャブ漬け」発言に怒りが収まらない理由を考察してみた

通勤経路に吉野家があって、前を通るたびにあの発言を思い出します。
元常務が大学の社会人向け講義の中で発言した「生娘シャブ漬け戦略」。
「若い女性をターゲットにしたマーケティング施策」についての講義だったそうです。田舎から出てきたばかりのあまりおいしいものを知らない若い女性に、吉野家の牛丼を食べさせて中毒にするという趣旨だったと理解しています。

思い出し怒りの理由は?

先述の元常務の発言、調べてみたら昨年4月の出来事でした。
自分が直接被害を被ったわけでもないのに、どうしてここまで長い間怒りが収まらないのか、少し考えてみました。

その発言を思い出すたびに目に浮かぶ光景があります。
自分が田舎から東京の大学に進学した直後のこと。地下鉄のホームでつきまとわれる、すれ違いざまに「やりたい」とささやかれる、家の近くで後ろを付けれらる、、、等の嫌がらせ。
そう、私自身が昔、「田舎から出てきたばかりの生娘」だったのです。

私につきまとってきた人は「田舎から出てきたばかりの生娘」を狙って、「こいつだったら反撃してこないだろう」という期待をもって私を攻撃したのでしょう。

吉野家の元常務の発言も同じ。「何も分からない生娘なら、簡単に自分の支配下に置ける」というニュアンスを私は感じ取りました。
あの発言が10年近くたって、あの頃の私をまた傷つけに来ました。
10年経っても、あの頃の私が泣いていました。
あの頃の傷がぶり返し、怒りとなって現れました。

この出来事から学んだこと

この出来事から学んだことは2つ。

①小さな性被害は積もり積もって大きなトラウマとなる
私がされたことは、嫌がらせ、もしくは軽犯罪でしょうか。
攻撃してきた人は大きな罪にはならないし、自分が告発する体力と相手への罰を天秤にかけたときに、正直私は当時、動き出せるほどの力がなかった。
ただ、その重なり積もった性被害は長い時間が経過しても癒えることのない傷となって私を削り続けています。

②ただ、時間を経て「怒る」ことができるようになった
私は「生娘」だった当時、怒ることさえできなかった気がします。
つきまとわれた時、後を付けられた時、ただただ怖かった。本気で死ぬかと思いました。
その時は反撃できなくても、後から警察に通報してもよかったし、できたはずでした。
でも私はそれをしなかったです。疲れていたし、どうせその人が捕まることはないと思っていました。
そして「怒り」もわかなかった。諦めていたんです。なぜか、世間知らずの無防備な自分が悪いんだと、自分が気を付ければ防ぐことができるのだと暗示をかけていました。それがきっと、その時は自分を守る最善策だったのだと思います。

ただ私は、1年近く前の「シャブ漬け発言」にまだ怒りを覚えている。
それは、諦めていた10年前の自分に比べたら大きな変化です。
この変化はどこから来るのか。
「怒り」や「この社会を変えたい」という思いが、社会を動かす様子を見てきた経験だと思います。
#me too運動は女性の権利向上に寄与したし、同性婚訴訟や差別禁止を法律に盛り込もうとする動きは、今現在の政治が変わったわけではないかもしれないけれど、当事者が社会を動かそうとする姿に私は勇気をもらっています。それらの活動も、怒り、なぜ?どうして?という思いが原動力になっているのではないでしょうか。

「怒り」が何かを変える力になる。
自分自身がその力を10年の間に育めていたことに気づけたことが、この出来事の唯一の収穫でした。

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