EP:3「普通」と「わたし」の基準をどこに置いたのか
◆海の想い出の中にある忘れているもの
私のお母さんは、休みの日はよく家族で出かけるのが好きでした。
夏は海によく連れて行ってもらいました。
両親は、ウィンドサーフィンをやっていて、海で私と姉は、海の家のおばちゃんたちに見守られながら、父と母がウィンドサーフィンをしに海の遠い遠い彼方へ行くのを見ていました。
私は、あまり海が好きではありませんでした。
何故かって?
まず、クラゲがいて、クラゲに刺されるとビリビリとして痛くて赤く腫れてよく泣いていました。
そして、泳ぎがさほど上手いわけでもないので、よく海水を飲んでしまいそのしょっぱさと不味さにげ~ってなっていました。
そして、海から上がったあと、海の家でシャワーを借りて、綺麗にして(つもり)帰るわけなのですが、そのシャワーのところが苦手でした。
何故だかわからないのですが、コンクリートの上や、プールに設置してある、すのこの上を素足で歩くことが嫌いでした。どうしてか、汚いと思ってしまうのです。
もちろん、大人になった今でも公衆浴場の床や、それらに似た場所が苦手です。記憶のかなたに忘れてしまっているなにか嫌な出来事がきっとあったのでしょうね。
◆子供は好きだよね が当てはまらない私
女子は甘いものが好きだよね、
男子は揚げ物が好きだよね、
子供はこういうのが好きだよね・・・
これらの世間の共通の見方が通用しなかった私。
子供はカレーが好き、スパゲティが好き、甘いものが好き・・・これらが当てはまりませんでした。
だから、知り合いの大人から、キャンディをもらっても嬉しくないしカレーが出されても食べれない。
この海で食べるアイスだってそうでした。
食べれないアイスが多い中で、一生懸命考えてやっと食べれるアイスが「バニラ味」でした。
だから、私はいつもバニラを選んで食べました。
ご存じの方もいらっしゃるかな?
「うまか棒アイス」を選んでいました。
でも皆さんも記憶にありませんか?
子供のころ、棒のアイスって綺麗に食べれました?
子供って言っても幼少期ですよ?
4~5歳くらい。
食べるスピードが遅いとどんどん溶けてきて、棒をつたって溶けたアイスが流れてきて、
どんどん溶けて、最後は棒からアイスがボトッと落ちてしまうことになってしまいます。
子供のころ、棒のアイスは本当に食べにくかったですね。
綺麗に食べれないもののトップ3に入っていたと思います。
じゃあ、他の2つは何?(笑)ですけど。
子供が綺麗にたべれないもの
①手羽先とかの骨付き肉
②とうもろこし
③棒アイス・・・
あ~、わかる~ってなりますか?(笑)
◆どうしたら普通の子供でいられるのか
私は、甘いものも苦手で、ジュースが飲めませんでした。
今でも飲めません。
飲めるものと言えばお水かお茶か、牛乳(今、牛乳も飲めません)。
昔は、今みたいに自販機に水やお茶が売られていることはありませんでした。
コーヒーかジュースしかない中、それなのにお水やお茶、牛乳を要求するので、お母さんはよく、怒っていました。
ないから仕方ないですよね。。。
私は喉が渇いていても、飲むものがないから、ずっとガマンしていたことを今でも覚えています。
だって、飲み物を要求すると、お母さんに怒られるのですから・・・。
姉のことがいつも羨ましかったです。
普通のこどもだったからです。
姉はジュースが好きだったし、どこへ行っても飲み物があって、なんでも食べれて、ニコニコしていて。
一方で私はと言うと、食べ物の好き嫌いも激しく、食べれるもの飲めるものにも限りがあり、怒られてばかりで泣いている。
どうしたら普通の子供でいられるのか?
小さいながらに本当にそう思っていました。
なぜ、姉と私はこんなにも差があるのか?
私が食べれないモノが姉には簡単に食べれることも、どういうからくりなのか?小さいながらに疑問でした。
◆いつしか基準を他に置くようになった
兄弟がいらっしゃる方なら、経験ありかと思いますが、親でも子供たちを比較して、あからさまに優劣つけてみたりしてくることありますよね。
私はいつも姉と比較されてきました。
姉と同じことが出来たら好かれる(はず)と思って頑張っていた幼少期がありました。
でも、面白いことに、姉が出来ることは私が出来ない、私が上手に出来ることなんて、何ひとつありませんでした。
今振り返っても、幼少期に私の方が出来たことなんて、一つも見当たりません(笑)
私は、身近な比較対象である姉に基準を置くようになりました。
保育園で一緒にいる誰かでもなく、確実に「姉」でした。
姉が上手に出来ることで褒められて、私は上手にできないし、むしろ失敗して怒られる、いつも姉と比べて、比べられてとても悲しかったですね。
◆わたしの基準が確立していく日々
子供はいきなり社会の中に出るわけではありません。
家族という小さな社会の中で、自分の位置や役割を確認し、そこで訓練したことを以て、もっと大きな社会に出ていきます。
わたしという人間が出来上がった小さな社会は、家族であり、その中で絶対的な権力をもっていたであろう父母から、基準を持たされたといっても過言ではありません。
父はわたしをとても守ってくれました。
経済的にも精神的にもです。
でも残念ながら、父は外で働いていたので、実際に家の中で起こっていることのすべてを把握することは出来なかったと思います。
わたしがどんなにお母さんから叩かれていたか?
どんなに泣いていたか?
どんなに耐えていたか?
知らないと思います。
みな、見ている世界が自分の世界です。
たとえそこに居合わせたとしても、
わたしのすべてをわたしと同じレベルで理解することは、
誰にもできません。
つまり、これは、この母とわたしのエピソードは、
本当にわたしの世界の話なのです。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?