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何のために先生になったのだろう?

職場に通勤する車内で
運転しながらよく考えていました。

「私は、なんのために先生になったのだろう‥」
「何をしに、学校に行っているのだろう‥」

先生になる前に思い描いていた理想の先生とは
ほど遠い自分の生活。

しんどいことは覚悟していたけど
毎日、生きていくのに精一杯になるほど、毎日が辛い。

そして、その辛さがどこからくるものなのか
何が苦しいのか 言葉にできないからこそ
さらに苦しさが増して‥

「私が弱いからだ」
「先生に向いてないからだ」

と自分を責める言葉が頭の中をぐるぐるまわる。


そんな日々が続いて、
できることなら、すっと存在自体なくなってしまえばいいのに。
全部全部なかったことになればいいのに。。
そんな風に思っていた

そして‥ついに教室にも行けなくなった。



今になって‥
私が先生としてやりたかったことができない状況になっていたから
苦しかったのだとやっと分かった。

自分自身が子供のころ、なかなか学校になじめなくて
辛かったから‥

『困っている子どもに寄り添いたい』
『教室を子どもの居場所にしたい』
『子どもの自己肯定感をはぐくみたい』

そんなことを願って先生になったのに。


現実は‥
毎日、やることの多さに押しつぶされて、
教室という独特の環境に押しつぶされて‥
先生という立場の責任、重圧に押しつぶされて‥

先生としてやりたいことが叶えられない。

授業をしているとき、
困っている子がいても前に進むしかないときがある。

子どもの話をもっとよく聞いて寄り添いたいのに
時間が足りなくて、聞いてあげられないときがある。

それぞれの個性として認めてあげたいことも
教室の規律を守るために、指導しなければならない時がある。

宿題を提出するのがむずかしい、それよりも守ってあげなければならない
家庭環境にあるのに、目を背けなければならない時がある。

本当は後ろからそっと背中を押してあげたいのに、
前からぐいぐい引っ張っていかなければならないときがある。


子どもたちの困った顔、苦しい顔に気づいているのに
すべてに対応できないときがある。


だって‥先生だから。



でも、私が一番、大切にしたかったのは
「子どもたちの心」

だから、それを大切にできない状況が苦しかったんだ。

大切にしたいことを大切にできない。

そりゃ、しんどくなるよね。
私自身の自己肯定感も下がって当たり前だよね。


今ならそう思える。


先生という形では、願っていたことは叶えられなかったけど
現場にいなくても‥私にできることがある。

それは‥
"先生"たちの心を支えること。

自分が苦しい思いをしたからこそできることがある。

そして、”先生”だけじゃなく、子どもにかかわる大人の心を支えること。

それがまわりまわって、子どもたちの心を支えること
子どもたちの笑顔を守ること につながると信じています


最後までお読みくださってありがとうございました。

このNoteでは、
小学校の先生として
心身ともにズタボロになりながら働いていた働き方から

”好き”を仕事にして
自分と家族の笑顔を大切にできる働き方を叶えた軌跡を更新しています

現在、フリーランスとして
先生たちの働き方相談、ヨガ講師、自己肯定感を育む講座を主催しています

それでは‥また次回! 

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