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【戦い】エゴの自分と魂の自分

OSHO禅タロット

【戦い】

絵がちょっと怖いから
ギョっとしてしまいますね。笑

このカード本来の意味とは異なりますが
このカードから
私が感じたことを書いてみたいと思いました。

『戦い』と表現されるものには

個人間に起こるいざこざから始まり
大きな範囲では国家間の戦争に至ります。

でも実はもっと根源的にある【戦い】は

「エゴの自分」と「魂の自分」の戦いです。

この戦いは表面には出てきていないので
気づかれにくいのですが

一番大切で、目を向けなければならない部分です。

外側に起こることは内側でも起こっている
つまり外側の現実に表れる戦いは
内面での戦いが反映されているだけなのです。

それでは
「エゴの自分」と「魂の自分」の戦い
とはどういうことなのでしょうか。

「エゴの自分」は
わかりやすくいうと

頭で考えることができる自分
つまり
「私は〇〇(名前)で、△△(職業等)をしている人間です」など
個人として認識できている自分です。

一方「魂の自分」とは
エゴの自分とは対照的で

無意識であるけれど
本質の自分、本当の自分、とも言い換えられます。

本質の自分であるのにも関わらず
残念ながら私たちは普段ほぼそれを認識することが
出来ていません。

エゴの自分は
本質である魂の自分が何を望もうと

これまでに植え付けられた社会的な概念に基づいて思考し
判断することを繰り返します。

例えばこういった思考です。

・こういう人間でなければならない
・人にこう見られたい
・この時はこういう行動をするべきだ

私たちは生まれた時から
両親や周りの大人によって
そういった概念を教えられ
それが真実であると信じ込み

たとえそれが
「本当の自分」が望んでいるものと違っていたとしても
教えられたことを盲目的に信じて生きています。

エゴの声はとても大きいので
本質であるにも関わらず

意識的に聞こうとしないかぎり
静かに存在している「魂の自分」としての声は
かき消されてしまいます。

それでも私たちは魂の存在なので
生まれてきた目的は
魂として、本質の自分、本当の自分として
生きることであるのです。

そこで
頭で考えているエゴの自分と

ハートで感じている魂の自分の望むものがズレている場合に
葛藤が起こります。

つまりは、個々の内面で起こっている【戦い】です。

ここで、思いつく例えがあるのですが
よく、葛藤が起こるときの風刺として

頭の中で天使と悪魔が言い合っている図がありますね。


天使:「そんなことしちゃだめだ」
悪魔:「いいじゃんか、やっちゃえよ!」
天使:「だめだめ、非常識だよ」
悪魔:「常識がなんだっていうの?」

この場合
天使がエゴの声
悪魔が魂の声

だと例えられます。

天使は、表面上『良い』とされていそうなことを言っているようですが
その言葉の中には
「社会的な常識」に捉われて
本当はこうしたい、という望みを抑圧していることを
感じさせます。

そして葛藤が起こります。

でも、本質的には
悪魔として表現されている

「常識が何?やりたいようにやろうよ!」というのが

魂の自分としての声、であるのです。

社会の中にある自分としての【善】は
個人の魂としても【善】であるとは限らないのに

内なる自分が望むことを【悪】であると排除しようとする。

これは自分自身の内面が調和できていないということであり
つまりは
自分同士が【戦っている】状態とも言えます。

個々の内側が調和されていないと
それが外側の現実へ反映され
個人間の争いへとつながります。

人と争いたくない
戦争反対を謳い、平和でありたい

といくら言ったところで

個人個人の内側での不調和が当たり前のように起こっているうちは

争いごとはなくならないし
ひいては戦争もなくならないと思います。

繰り返しになりますが
外側で起こっていることは
個人の内側に起こっていることの反映。

平和を望むなら
まずは一人一人が

誰にとっての正しさなのかわからないことを主張してくる
「エゴの声」に惑わされない

小さな小さな声であるかもしれないけれど
魂の自分、本当の自分が発している声に
耳を傾けるようにしましょう。

世界の平和は

一人一人が本質で生きることによって

叶えられます。


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