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3.11 ーあの日から10年ー「非被災者」として

2011年3月11日の、東日本大震災から10年が経ちました。

僕は非・被災者でした。「被災者」という言葉はあまり使いたくはないですが、自分の立ち位置を端的に示すために、否定後を加えて、あえてこのような言葉を使用させていただきます。

あの日、大学に入るちょうど直前でした。自分は東京都練馬区の実家にいて、近所の駐車場の車が「はねる」くらい大きい地震が来て、外出たのはいいけれど、この揺れで駐車している車に轢かれるんじゃないか、家崩れないかな、とか心配してました。近所の家では、物が落ちてガラスが割れたりして、大きい地震だなくらいに思ってましたね。そういえば、地震の中、車で移動してた人は、気づかなかった人もいるそうな。

そんな最中、ラジオから流れる「津波の高さは10m」という放送にびびりました。

テレビでやっていた洪水の実験番組で、「大人1人なら1mの水でも流される」というのを思い出しました。考えてみれば、1m立方の水って、重さ1トンになりますからね。1トンに使ったら、大人の体重とて簡単にすっ飛びます。それが10mときたら、それは大変なことです。ビル3階分以上の高さに相当する、自分の実家の屋根上すら怪しい。しかも、何かにぶつかればそれ以上の高さにーいわゆるそれが「遡上高」と呼ばれる津波到達地点の高さですが、宮古市のHPによると、

「遡上高」は「津波の高さ」の約2~4倍程度高くなる

そうです。ということは、標高(海抜)20-40mのところまで到達...

震災直後、関東では帰宅困難とか計画停電とかの影響が出ましたが、ニュースで取り上げられた津波のショッキングな映像、新聞に書かれる死者・行方不明者の数を通じて、その恐ろしさを知ることとなりました。

非・被災者として

災害に逢ったわけでもなく、被災地にボランティアに足を運んだわけでもないですが、東京にいた人間として、経験した、感じたことを率直に書いていこうと思います。

大変なことだとは知った、けれども何ができるか、何をすればいいかわからなかった。
人との関わりが大切だと知った。メディアではそうしたところを取り上げるけれど、身の回りで変化は感じられなかった。

周りに、東北の知り合いもいなかった。僕は結局、何も学べていないんじゃないか、変わらなかったことに、何か時代に先を越されているような、不完全燃焼的な感覚でした。

失うということ

その年の年末。ある日、僕の父が急死しました。

何かの災害にあったわけでもない。朝おはようと言って、たかどうかも思い出せないですが、前日少しおかしいところはある気がしていたーそれが突然です。

大学1年性。秋頃から新しく大学のサークルに行くようになって、それで帰りが遅くなって、夜家に帰ったら暗いはずの電気が明るくて、なんなら玄関が開けっ放しで、遠くにいるはずの親戚が久しぶりすぎるくらいに集まって、全員真っ黒衣服着てて、母が泣き腫らしていて...僕は父の亡骸に対面する。

膝が落ちるってこんな感じなんだ、ふっと足の力が無くなって、あれ、父が寝てる、でも全身真っ白。

葬儀を終えてからも、ずっと母は毎日泣いてました。

それでも回る世界と、自分

葬儀を終えて、元通り大学に復帰しました。驚いたのは、自分以外は何も変わっていないということ。これがびっくりしたんですよ。何もかもが、いつも通りだ。頭がおかしくなるくらい、同じだと。

もしかしたら、地震で被災した方も同じようなこと、感じられたかもしれませんね。ただ、僕は被災はしていなかった。

生きること、どんな意味がある?

人はいずれ死にます。死ぬまでに何か残そうとして、それもまた津波で流される。毎日頑張っても、記憶にも、記録にも残らない。そこにどんな意味があるというのでしょう?

これからだって、災害や戦争は繰り返す。

地球環境も、人間が生きてるだけで害悪になっているかもしれない。

人類が大事なのは子孫を残すこと?単なるDNAを運ぶ存在?

だったら、自分って何なんだろう。

生きることに、意味を見出す

2011から10年。花は咲く。

まだまだ爪痕は残りますが、元通りにはなっていないかもですが、それでも前進してここまで来れた。地元の方々、応援してくれた方々の力だと思います。

この3.11の復興を見返して、いろいろ気づくことがありました。自分の役割を、自分の意味を、自ら見出しているということ。

日本科学未来館でやっていた3.11をテーマにした「震災と未来」展で、釜石で蕎麦屋さんをやられている方の話が、すごく印象的でした。もともと酪農をやられていて、でも津波で全部流されて、そこから蕎麦屋に。
震災後は人も少なく儲からない。それでも、『自分がやらないとやる人がいない』から続けているのだそうです。
自分の力で、街に貢献したい。そういう想いを持って仕事されてるのは、すごい素敵だなと思います。信念持って、やり続けている人が、東北にはこんなにもいらっしゃるのですね。

自分自身の人生は、自分のためにある。これと決めたら、それに向かって動き続けることが、人生に意味をつけていく。

そんなことを考えさせられました。

これから、僕らに課せられた課題

これからも、大きな災害は来るし、戦争とかも起きるかもしれない。来るものは来る。

何とか、悲しみに暮れながらもやり過ごすのも良いかもしれないですが、自分としては、だからこその機会にアップデートをして、よりよい未来を築いて行きたいですね。何度も何度も、大きな困難が立ちはだかったとしても。

それこそが、自分の人生の意味を、見出すことになると信じて。

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