ヴィーガン


とまではいかないけど、肉はあまり食べないようにしたい。
週一か月一くらいにしたい。
もしくは、旅行の時だけは制限設けない、とか。

一番の理由は、動物が可哀想だから。
以前、畜産に関係した仕事をしていたけど、そこでは採卵鶏が小さいゲージに何羽も押し込められていて、しかもそれが狭くて暗い建物の中に縦5・6段、長さ50〜80mくらい続きていた。
それは夏で、鶏は汗による体温調整ができないとのことで、必死にゲージから顔を出して、激しく呼吸をしてなんとか体温を下げようとしていた。
お化け屋敷なんかよりも、ずっと恐ろしい光景だった。

養豚場では、虚弱に生まれた赤ちゃんの後ろ足を持って、頭を地面に叩きつけていた。
上手く育てるのが大変だから、死んでもらった方が経営の負担にならないというのがその理由だ。
また、年老いた母豚を屠殺する為に、消毒液の原液を心臓に直接打ち込んでいた。
僕はその母豚が暴れないよう、ロープを必死で引っ張った。
ものの20秒程でその母豚は痙攣しながら倒れた。
最後、力を振り絞るようにして頭を持ち上げ、僕の方を見て鳴き声を上げた。
そして、亡くなった。
僕は彼女の目を、未だに忘れることができない。

世界を旅していた時、メキシコの本当に小さな村を訪れたことがある。
路上には一頭の牛が4本の足をロープで縛られて横たわっていた。
その周りには男が3・4名、ナイフを持って立っていた。
他に、子供が2人、バケツのようなものを持ったおばあさんが1人いた。
これから、その牛は殺される。
おもむろに首の動脈を切って、失血死させる。
牛はそれ程苦しくも無さそうに、だけど生気は少しずつ失われていく。
おばあさんはバケツに血を入れる。
子供たちはそれを見守る。

血が出るのが落ち着くと、男たちはナイフで首元からおへそに向かって皮を切っていく。
あとは見る見るうちに牛が肉塊に変わっていった。

それを見た僕は、とても尊厳のある死だと思った。
血の一滴までも大切にされ、そして子供たちには命の尊さが伝わる。
きっと、この村の人たちはこの牛の骨の一本まで大切に活用するだろう。

普通に生活している日本の人々は、押し込められた採卵鶏や、屠殺場で工場のように次々に殺される豚を見たことがあるだろうか。
そんな現実を知っているだろうか。

少し、話したかった内容から逸れてしまったけど、とても大切なことだ。

「あるべき姿且つ現代に合った生き方が最も素晴らしい」と僕は考えているので、元々は「魚+卵、牛乳」くらいの生活がいいんじゃないか、と提案したかっただけなんだけど。
でも、今回書いた話は、それを少しでも前向きに考えてもらう為に、参考になったかもしれない。

日本の人々も、僕の恋人も、とても優しい。
ただ、現実を知らない。
現実を知らないと、優しさを適切な方向に発揮することができない。
今日も美味しくハンバーガーを頬張ってしまう。

まず、知ろう。
そして、考えよう、自分の頭で。
そうやって、自分の頭と手で人生を築こう。
人生を築く過程や結果で、誰かや世界に、より良い影響を与えていって欲しいし、僕もそんな存在でありたいと思う。
もちろん、無理はしない範囲でね。

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