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君たちはどう生きるかを見て(程よくネタバレ)

映画のエンドロールが流れて、映画館の照明が明るくなるまで、映画が終わったことが信じられなかった。題名からして、どう生きるかの問題提起が投げられると思っていた、、、のだけど何を受け取ればいいのかも分からず、一瞬パニックになった。
原作も前情報も何も入れずに行き、題名だけで判断して、自分のこれからの人生をどう生きようか考えてみようと27歳の誕生日に見た。何かを受け取りたかったからこそ少し動揺した。

私は精神分野を学んでいるから、どうしても主人公の見える世界が幻覚の世界に思えて、脈絡のなさも連合弛緩のように感じた。
一緒にみた友達は、精神疾患の遺伝負因を持った家族の話だと思うと言っていてなるほどと思ったし、お母さんが入院していた病院は精神科病院ではないかと考察してみたりもした。でもそれは想像で、そうかもしれないし、そうでないかもしれない。
こんなにも想像を膨らませられる余白を作れるのが、さすがだと思った。
理解しようなんて思わなくていいと考え直し、ただただ受け入れようと思った。
宮崎駿の物語かもしれない、そうではないかもしれない物語。
だけどこの作品を作ったのは間違いなく宮崎駿で、私が好きなジブリ作品を作り出してきた人であるのは間違いない。
その事実自体が尊いと思った。
常人が体験し得ない経験、常人では感じえない感覚があるからこそ、常人が感動する作品を作りえた。そういう人生だったのかもしれないと思った。
また、芸術自体が、そういうものなのかもしれないと思った。普通であろうと頑張ったり、辛くなったりする現実がすぐそばにあるが、少し気が楽になったし、嬉しく思った。
だからこその「君たちはどう生きるか」かもしれない。82歳の宮崎駿だからこそ作りたかった、ただ残したかった作品。
私は何かを理解しようとしなくていい。こういう人がいたという事実に触れれたそれが尊いと思った。

作品中に「悪意の石」という言葉が気になった。
私は精神疾患と診断された人たちと関わる機会が多い人生だが、私が、看護師として精神科にこだわる理由はそれなのかもしれないと思った。
精神科に入院している人たちには「悪意」を感じない。もちろん例外はあるが、普段生活して関わる人にはない「悪意のない心」に触れる時、安心するのかもしれない。

この映画をみてそんなことを思った。
それは宮崎駿は想定していないかもしれない。
私は私の物語の中で、色んなことを感じて、考えていく。そして私がいたい人と歳をとっていく。それでいい。

2023. 8.18 博士課程の試験を受けて、白ワインを飲みながら。この気持ちを忘れないうちに。

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