2年前のある日。 娘のお友だちが6人遊びに来た。 17時前になり、 ばたばたと次から次にみんな外に出ていった。 誰が誰と一緒に出ていったか確認できず、 もうみんな出たと思っていた。 部屋にはもう誰もいない。 私も子どもたちを追って外へ。 そして近所のお母さんたちと立ち話。 すると、1人の子のお母さんからLINEが。 「うちの子、おうち出ましたか?」 ほとんどが近所に住んでいる子たちだったけど、 その子だけ、少し離れたところに住んでいた。 いつもなら、 今家を出
子どもたちの話。 今日は息子の話を。 息子は小学6年生。早生まれ。 2歳9ヶ月のときにASD(自閉スペクトラム症)との診断を受けました。 今ではもう当たり前に知られているかもしれないけれど、ASDというのはかなり範囲の広いもので、そして病気とは違うもの。 強いて言うなら、脳の中の情報処理の特徴、という感じ。 息子は幼稚園在園時に療育を受けて、今は支援級に在籍中。 よく、障害や発達障害を個性だ、なんだ、の議論があるけれど、どこに立ってものを見るかによって、何もかもが
私にはとても大切な花があった。 でも私は 花が咲いていることに気づいていなかった。 それを教えてくれた人がいた。 言われるまで気がつかなかったのは 私には見えなかったから。 その人は、 どんな花か、を 繊細に表現してくれた。 それはそれは、 いろんなかたちでの表現。 見えていない私に、 色や形を描写してくれて、 聴こえていない私に、 花の響きを奏でてくれて、 香りがわからない私に、 こんな香りだからと、 あらゆるもので例えてくれた。 気がついたとき、 相変わ
今は施設に入っている母方の祖母が、 まだ家にいて、 そして、たくさんのことを覚えていたころの話。 祖父の旅立ちのあとから ゆっくりゆっくり、 いろいろなことができなくなっていった祖母。 母は自宅で細やかに 祖母を介護していました。 祖父母がとても大変な思いをし、 やっとの思いで、 生きて家をつないできたこと。 小さな頃から母は 精神的に 祖父母の心と歴史を背負っていました。 そして、 祖父母の努力の上にある 今の幸せに感謝をしながら 祖母の介護をしていました。 母
miraです。 noteをはじめてみることにしました。 静かなところで、ことばを静かに紡ぎたいと思いました。 自分の中に日々生まれるもの、 ことばのかたちや 心のかたち。 心に灯る光や暗闇。 そういうものを、できたら、 どこまでもどこまでも広がる空、 みたいなところ。 囲いのないところ。 雲の流れる音が聴こえるくらい、 静かなところ。 そんなところに、 放ってあげたいと思いました。 私はブログとインスタのアカウントを持っていて、最近はインスタに書くことが増えています。