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舞うということ。

舞の稽古を続けているけど、舞うってどういうこと?と問われると、うーんと言葉に詰まってしまう。

そもそも舞や踊りという要素はわたしの才能の中には皆無だったし、家族とか親しい人にも踊る人はいなかった。むしろ自分から最も遠いことだからやってみる気になったという気もする。

20代の前半だった。それまで学校やいろんなところで学んできたこと、自分が身につけてきたと思っていた事がすべてすっからかんに消えてしまったのだけど、迷ったり悩んだりはしなかった。

多分限界値を超えてしまったのだろう。むしろ清々しい気さえしていた。自分の感覚とか感受性が全く変わってしまったのはある意味新鮮だったとも言えるが、日常を送ること自体が大変だった。それで身体と心のバランスを取るために何かやりたかった。

そんなとき「舞の専門家では無い普通の人が舞うということの素晴らしさ」を説く民俗舞踊の先生に出会ったのだが、これにはとても惹かれるものがあり、やってみようと思った。

それから何十年も過ぎたが、わたしは上手な舞手ではないし、舞うことが好きかどうかさえ未だによく分からない。

しかし、舞のあの静謐な空間はとても好きだ。ここ十年あまり、神楽を始めてからは特にそう思うようになった。一回ごとに新たな発見がある。できの良し悪しとは別に、と言うより、新たな発見という視点から言えば良く舞えたとか出来が悪かったとかは、あまり関係がないのだ。

稽古の中で発見したことを、自分であれこれ考えることはあっても、改めて言葉にしたりすることは今までほとんどして来なかったのだが、これからはぽつぼつ書いてみようかなと思っている。

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