佐藤可士和の奥さんについて調べてみた
おはよう、こんにちは、こんばんは!
きのうまで3日間連載で書いたので今日はゆるーくいこうと思う!
今日はなんだか急に、日本を代表するクリエイティブ・ディレクター『佐藤可士和さん』の奥様の功績ついて書きたくなってしまったので、ぜひ最後までお付き合いいただけたらうれしい。笑
ところでまず、佐藤可士和さんをご存知だろうか??
彼は日本を代表するデザイナー、クリエイティブ・ディレクターで、私たちの誰もが見たことのあるような、ユニクロ、GU、楽天、セブンイレブン、Tポイントのロゴなどを作ったすごいひとだ。
ほかにも彼は、私たちが生活の中でたくさん目にする数々の企業のデザインや有名アーティストのジャケットなどを手がけている。
華々しい彼の成功の影には奥様である悦子さんの支えがある。
ということは実はちょっとだけ前から知っていたのだが、具体的にどのように支えられていたのか、突然昨日の夜気になってしまい、色々調べてきょう記事にしようと思った。
もう知れば知るほど、泣けてくる・・・
「このひとのために人生をまるごとささげよう・・・!」
という気持ちがエピソードの節々に見え隠れするのだ。
究極のGiveだとおもう。
彼はデザイナーだが、デザイナーに限らず、歌手や画家、芸能人、音楽家、などなど・・・才能、カリスマ性をもった人が、もともと才能の功績は見られるのだが、さらに家族やパートナーなど、誰かの底抜けたマネジメント力やメンター的な役割の支えによって広く社会に認知されるようになる例は少なくない。
でもその人たちの功績にスポットライトが当たる事はあんまりないかもしれない。
なぜなら支えてる人たちは支えた本人が輝くのが望みだから・・・
彼らに『すごいですね、講演会してください、本書いてください、』なんていったって断ってしまう人もぜんぜん多いと思う。
すべては自分の支えている人のプラスになるか、が基準になるのかもしれない。
佐藤可士和さんの妻・悦子さんは早稲田大学を出て博報堂の営業局に配属され、28歳で結婚後、外資系化粧品メーカー、ゲランのPRをしていた。
バリキャリだ。笑 しかもめっちゃお美しい・・・!!!
ゲランといったら皇室御用達のフランス香水メーカーとしてはじまった、もう女子の憧れの的だ、わたしもとっても大好き!
そんな華やかなゲランのPRのお仕事をされていた悦子さん・・・働き始めて3年で可士和さんの「サムライ」に参加した。
可士和さん自ら、悦子さんにお願いをしたらしいのだ。
博報堂から独立して、可士和さんのもとには大量のお仕事が舞い込んだ。
事務とか契約とか、そういうことが苦手だからクリエイティブ職になった彼。本業に集中するためにも悦子さんを必要としたのだろう。
悦子さんは可士和さんのお願いに二つ返事で快諾した。
悦子さんはゲランを退職し、可士和さんの右腕に。可士和さんに『ブランディング』というものをはじめて伝えたという。
それが今となっては彼の流儀となり、ロゴ、プロダクト、空間などすべてをアイコンととらえて企業のミッションを表現する『アイコニックブランディング』というかたちで多くの課題を解決している。
わたしたちがほぼ毎日、セブンイレブンを通れば目にするであろうセブンカフェは、店内でも際立った存在感だ。
周知のとおりセブンカフェはとてもバズっている。
しかしセブンカフェをPRするに当たり、もしもテレビCMなどのマス広告のみに頼っていたら今のバズりはあったのだろうか??
可士和さんは博報堂時代、今まで「打てば響く」感触だったマス広告が、90年代後半からインターネットや携帯電話の普及を受け、だんだんマスだけでは課題解決ができなくなってきたと感じたようだ。
その結果、いまのセブンカフェのようなロゴを基準としたパッケージから幅広いすべての「モノ」のブランディングに取り組んでいった。大手広告会社ではなかなか成せない業だった。
可士和さんの仕事を世に広くアナウンスし、受け入れられるように仕掛けて行ったのが悦子さんだ。
彼女は博報堂、ゲランで学び、「佐藤可士和」というブランドをつくった女性だ。
彼女が「佐藤可士和」をPRするためにとってきたインタビューのお仕事など、最初はいやいやこなしていた可士和さんだがこの世間に認知される作業なくしてはいまの「佐藤可士和」はなかっただろう・・・
そんな素敵な女性、佐藤悦子さんについて、ちょっとみなさんにも知ってもらいたくって書いてみた。
きょうはそんな感じだ、
では、また明日ー!!
みっぱ
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