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すわ!お兄が鬱!エピソード1

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6月に帰省し「双極性障害」と聞いてから
家族は双極性障害についてたくさんの知識を得ることになった。


私自身、何度もガンになり「知識」がとても大事だと痛感しているからだ。家族も皆、一同にお兄への愛がある。病気ならその病態を知ろうではないか。

6月に帰ってきて自身の病名を告げてから、
同じ大阪府内のマンションに戻って行ったお兄。
8月に「営業成績一位になった」とLINEがきた。
我々は大丈夫だな…と少し安堵したのだ。
その時は…………。

2022年10月の終わり頃からだんだんとお兄と連絡が取れなくなっていた。
11月に入り、私も乳がんの一年毎の精密検査などを受けていたが、連絡してもなしのつぶて。

親からの連絡などウザイものとは思うが、次男とはLINEのやり取りはしていた。

……何かがおかしい……
夫婦でそう思い始めた頃、次男(通称次男の介、略して介殿)も普通じゃないと感じ始めていた。

だいたい家庭内のことは夫婦や家族で相談するのが常で実行部隊は私と介殿だ。
夫には仕事に行ってもらわねばならぬ。

介殿も社会人一年目。
本来なら一番気を揉まれる立場だが、一馬身お兄の方が抜きん出ていた。

そんな時、お兄の会社の上司から電話がかかってきた。

「出社していないんです。一人暮らしですし、みんな心配しています。何か聞いていますか?」と。

優しい方だった。
聞けばご自身も「鬱で1年間実家で静養した過去がある」と言う。

「私たちも今、何もわからないんです。
お話できることがあればすぐご連絡します」
と連絡先を教えていただいた。
本人はもう退職したいという意向を伝えていて連絡が取れない状況であることがわかった。

それから介殿と私の二馬力で夫の部屋と化してしたお兄の部屋をお兄仕様に爆速で整えることとなる。
それはもう爆速で!
ありがとうニトリ

それが11月23日

「もう無理かもしれん」
とお兄からLINEが私にきた。

「今すぐに迎えに行くから」と返信したら

「今はまだこっちでしないといけないことがあるから帰れない」という返事。

せなあかんことてなんやねん!?

とりあえず食料を送った。
取り急ぎ気が落ちてても食べられるもの。

今すぐにでも迎えに行きたい気持ちを抑えていたが
また連絡が取れなくなった。
なんとなく嫌な予感がして
2022年12月1日に平日で帰路の途中の介殿にLINEした

「なんか気になるからお兄迎えに行こうと思ってる」と。
介殿からの返事は「今、○○駅あと15分で着きます、行きましょう」と。

介殿は19歳の時に私のがん告知一緒に聞かされてるし心強い存在だが同じ息子として時折、申し訳ない気がする。

しかし介殿がいなければこのプロジェクトの成果はなかった!…と断言できる。
頼もしい存在である。
事実、心の底から感謝しているし介殿がいなければお兄を救出できなかったことは(お兄本人以外の)周知の事実であるが、このことはまた後日記載したいと思っている。

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