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霊感ありますか?お盆のときはこの世のものじゃないものが見えたり・・。

先日、言われました。

「あなたは霊感があるんじゃないですか?」

「ないです。お化け見えないし。怪しいものも見えないしね」

でも見える人はいる。私の友達にもよく見える人がいて、「今日どこへ行った?何つけてきてるのよ」と言われて塩で払ってくれる。


お盆のころになると、長男が「この時期さぁ・・やなんだよ。
脚にまとわりついたり、なんか変なものが見えたり・・」という。
一度死にかけたせいか、あちらに行こうとして夢の中で「おばあちゃんに会ったよ。そしたら『なにやってる!まだこっちに来ちゃいけないんだよ。早く帰りなさい』って言ったんだよ。そしたら目が覚めた」と言った。
あの時からか、見えるようになったという。
最近はあまり見えなくなったそうだ。

そもそもお盆というのは、あちらからお迎えをしてそして再び送る時期といわれてますね。きゅうりとなす(来るときはきゅうりの馬に乗って早く来れるように、帰るときは茄子の牛に乗ってゆっくり帰ってください。という意味)を飾ったり、提灯を飾るのも家を間違えないように。そして送り火というのは再びあちらに帰っていくのを見送るため。
お葬式から始まって、仏事の儀式をやるけれど全て理由がある。なんだかなぁ・・そんなことあるんかい。なんて思うこともあるけれど、確かに49日まではまだこちらにいるというのもよくわかる。
不思議なもので、若くして亡くなった場合・・・残した家族が心配なのかいつまでもそばにいる。これが老衰の場合、本当にすぐに行ってしまう。もうこちらに未練ないよといわんばかり。穏やかな最期だ。

お盆の時ってやっぱりやってくる。

心配なんだろうなぁ・・・

お線香をあげて手を合わせる。それだけは毎日やっている。子供たちも。
近所のお坊さん曰く、「因縁なんてないよ。そんなものは生まれた時に落としているんだよ」といった。その彼はその昔、自分の家が寺をやる理由を教えてくれたのだが、「どうも先祖が山賊だったらしく、人を殺めてきたそうだ。ある時相当恨みを買って末代まで祟ってやると言われた。そしたらうちの家系で言うと、男が生まれると二十歳まで生きなかった。女は生き残ったけれど。それでうちの曾祖母さんが出家したんだよ」ということだった。
その彼が年を取って「そんなもの関係ないわ。人は生まれて死ぬまでってことだ。」という。そんなものに縛られて生きる理由はないってこと。
そう話してくれた。

そうだよ。

縛られているのは、言い訳にしたいから。自分のせいじゃなければ、楽だものね。

ただ大きな流れというのか、人知を越えた流れというのはあるような気がする。人の出会いも縁だと言うけれど、その縁は不可避的にある場合も全て理由があるような気になる。

奢っていると痛い目にあうし、人とかかわらなければ孤立する。いいことないなぁ。なんて思っていると本当にいいことない日々になってしまう。

お盆のころは水辺に出かけないようにと子どものころよく言われた。
「連れていかれるからね。」
この時期、多くの人がお休みだから出かけることも多いからだと思うけれど、やっぱり事故のニュースが多い。昔からの言い伝えにも理由がある。
このころは川では突然の雨で水かさが増しやすいし、海では波が荒くなる時期だ。台風とかも来る。彼岸という言葉の通り向こう側は川の先なのかもしれない。灯篭流しとかも水辺の行事。
ご先祖供養のためにお墓参りをするのも、年に一回ぐらい手を合わせて今ある自分が長い時間の先にあることを想うため。(もちろん、親族が集まってワイワイとやるのも繋がりを大切にしようってことでしょう)

苦しい時の神頼みとか願えば叶うとかいろいろあるけれど、まあそんなことは全くないといっていい。自分のメンタルの持ち方だけだということだね。
たまに、こんなことがあった!なんて不思議現象についていろいろな記事がある。嘘ではないと思うけれど人の数だけあるわけじゃない。他力本願では願いは叶わないということだ。
徳を積むこと。自分が他者に何ができるのかを思う。実行する。そうするといいことがあるように思える。昔話ではないけれど、いいお爺さんは幸せになって悪いお爺さんはとんでもない目に遭う話がいっぱいある。まあ道理を説いているのかもしれないけれど、善い行いをしたほうがいいということだろう。

お盆休みももう終わり。果てしなき流れを思いながら手を合わせてみる。
信心深いほうではないけれど、歴史を見るとあまりにも多くの人々が神を信じ、願いを持ち続けてきたかを知る。現代だって宗教が戦争の引き金になっているしね。侮れないところです。







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