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【オマージュだらけじゃダメだけですか?突然のいいわけ】

年始に今年こそはやるぞ!書くぞ!創作することで自己のモヤモヤから突破したいと意気込んでいたが、ぱったり更新できずにいた。私が書こうとしている『20年後のゴーストワールド』(一つ前の投稿参照)

大筋はほとんど意気込んだ年始に書いて、結末も書いた。私は本は最後から読むのが昔から癖になっているが、自分で書いても最後から書いた。一部と二部構成で、サブタイトルまで考えて…とここまでやる気だったのに…
単なる三日坊主といえばそれまでなのだが、
あのドラマを観てしまったわけです。先日最終回を迎えた『不適切にもほどがある!』

あのドラマは1986年から現在の2024年に主人公の阿部サダヲ演じる昭和オヤジ小川市郎がバスでタイムスリップしてしまうという話。
まさに「来るはずのないバスが来る」話なのであった。私が書き途中のストーリーは映画『ゴーストワールド』を下地にしているので、バスは出てくるのは自然といえば自然なのだが、面食らわずにはいられない。何も知名度もなく、ただの小市民が宮藤官九郎の作品に対して「かぶった」なんておこがましい限りであるが、私が書きたいことのいくつかはドラマに出てきているし、大きくフォーカスが当たるであろう私のシーモア的存在のおじさんに似た人物もドラマに出てきたので(某脚本家の役の人)別にもう書かなくて良い気にすらなった。むしろ私が体験してモヤモヤしたことは、このドラマの理解を深めるために起こったのかと思ったほどであった。しかし今回ドラマを観て全てを鵜呑みに楽しめたわけでなく、所々自分の中で一回持ち帰っていいですか?と思うところもあった。さらっと観たら面白い。けどとことんちゃんと観るとモヤモヤし出す。SNSで他人の意見などを見るとグラグラ揺れる。自分の中になかった良い意見も時たま見かけるけど、いかにも正しいですよ風なことを言って、そうでもない人も思いの外いる。全て時と場合によると言ってしまえばそれまで。スカッとしない。社会が変わって、正確がどんどん変わるように答えは自分の中にしかないし、それもはっきりしないグラデーションになった。それを口にすると共感する人もいれば、全く違う受け取り方をして叩く人もいる。なるべく他人が傷つかない良い方を選ぶ、しかないみたいな世界。それがドラマでいう「面白くないな」。自分はもともとめんどくさい人だったけれど、周りも自分もさらにめんどくさい人になった、ならざるを得なくなった。

ドラマの試写会の挨拶をTVerで観たのだが、宮藤官九郎はドラマの感想を周りの人と話してほしいと言っていた。ふんわり言ってたけどやっぱり策士だ。描いた問題が色んな意見を生みやすいとしても、視聴者の「あれ?」が生まれる罠(所々雑だったり)をしかけて「あれどう思う?」を引き出していた。一回持ち帰っていいですか?と思うようにできているのだ。スカッとしないことを、考え問うてみること…SNSなら見なかったことにできても身近で考えが合わない人とどう折り合っていくのか。

めんどくさくなってしまった私たちはめんどくさいけど、一つでもモヤモヤを消して良い方向に向かうにはコミュニケーションを取るしかない。話せばわかる人ばかりではない中で…分かりあえやしないってことだけを分かりあうしかなくても。ドラマが一見アホみたいに「寛容」をキーワードに終わらざるを得なかったのもそういうことなのだろう。結論めいた言葉は普通に話すと空々しく聞こえてしまうから、毎度ミュージカルになっていた。空々しく聞こえることを、普通にできないくらいに私たちは物事の外側だけを大きくして肝心な中身をどこかに無くしてしまっているようだ。

私の書くゴーストワールドもコミュニケーション不全で起きたし、アップデートできていないことに対して少しでも「寛容」の気持ちがあれば「最悪」には至らなかったかもしれない。自分もSNSで今の時代らしい「不適切」をやらかしてしまったなと思い自戒も込めて2024年の自分の『ゴーストワールド』を書きます。自然にそれは2024年の私の『不適切にもほどがある!』にもなってくる。皆別に今のモヤモヤを書く人なんてそんなもんか。何者でもない私なんだから、ゴーストワールドだけじゃなくクドカンでもなんでもオマージュだらけでもそれは別に「不適切」ではないと開き直って!いや、でもこれを書くこと自体が最大の「不適切」かもしれない!

P.S.今夜もブギーバックが30周年で小沢健二とスチャダラパーがまた新曲作っちゃったりなんかして
(今も昔も)ロマンチックなのは変わらないから 笑う 愛す!(しかない)
という強力リリックが届いた2024年の4月1日

いや…おじさんって今こういうのブームなの?
上の文章つらつら書いた身としては、気持ちはわからなくないけど、ついそう思ってしまう。同じにおいがするね。通ってきた過去、あれなんだったんだろう、と照らし合わせて擦り合わせて、根っこの部分は変わんねーって言うこと、そうやって無理に今と自分を肯定するしかない。
要は今のところ答えはもうそれしかないんだけど。

やべ、私は疲れているからか、もうお腹いっぱい感。
だけど、そんな感じやるのが許されるのが今ってことか。他人事みたいに言ってしまったけれど。

私のところにもバスきますので楽しみにしていてください


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