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留まる所を知らないピアス欲。

ハンドウェブ(水かきに着けるピアス)を開けて2週間ほど経った。
エアウォールという極薄の絆創膏でカバーしているおかげか、大きなトラブルもなく、腫れも少しだけ引いてきたのでシャフト(ピアスの軸)を19mmから17.5mmに替えた。
ぴったりサイズになって絆創膏が貼りやすい。

さて、「ハンドウェブが安定すればこれが最後のピアッシングになるだろう」などと大口を叩いたは良いが、実は日に日にピアス開けたい欲が産まれている。

今開けたいのはrook(ロック、ルーク、ロークなど呼称あり)か、「幻のピアス」と呼ばれるほど開けるのも安定するのも難しいスナッグか、センタータン(舌の中央)か、リップ(下唇の斜め下)だ。
耳中央のダイスや耳の縁に開けた2つのホールを繋ぐインダストリアルにも憧れるが、私の耳の形から考えるとどちらも難しそうだ。
縦に2つのホールを貫通させるバーティカルインダストリアルなら大丈夫かも知れないけれど。

振り返ってみると、ピアスが開けたくなるのはイライラしていたり落ち着かなかったり不安感があったりと、ネガティブな感情に傾いている時が多い気がする。
思春期の頃していたリストカットの時に似た感情だ。
だとしたら私のピアッシングはやはり自傷行為としての意味合いが強いんだろうか?

ただ単なる自傷と違うのは、見た目を最大限意識して満足いくように計算して開けることだ。
傷つくのが目的なのではなく美的感覚を重視して自分の体を改造しているような気分だ。
だから着けるジュエリーにも気を遣うし、どこに開ければバランスが良いか、美しいかをとても考える。

精神医学的に見ればおそらくは自傷行為にあたるのだろう。
自分でも世間一般で見れば開けすぎの自覚はある。
しかし開けたいのだ。
あの開ける痛みを乗り越えた先にある「あぁ、このピアス可愛い」が見たいのだ。

センタータンは1週間くらい喋ったり食事をするのに苦労するらしい。
が、来月にチャンスが数日間ある。
さて、開けてしまうかどうするか。

いつになったらピアス欲が落ち着くのだろう。
もしうつが寛解するまで落ち着かないとしたら、相当な長丁場になりそうだ。

ピアッシングの道具は全て揃っている。
開けようと思えばいつでも開けられるこの状況が良くないんだろう。
ただその「いつでも開けられる」がお守りになっている気もする。
こうして不思議な距離感を保ったまま、ぼんやりと開いているホールを眺めている。

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