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いってらっしゃい、と、おかえりなさい。

朝、子供たちが学校に行くとき、旦那さんが仕事に行くとき、

「いってらっしゃい」

と言ったった後の、じんわりとする感覚にいつもあったかい気持ちになる。


夕方、子供たちが学校や外遊びから帰ってきた時、旦那さんが仕事から帰ってきた時、

「おかえり」

と言った後の、ホッとする感覚にいつも癒される。


毎日のことだけど、その言葉を口にするたびに、心の奥の方が温かくなってホッとするのは、やっぱりここが私が帰る場所だということだからだと思う。


私は東京生まれの東京育ちで、学生時代も社会人になってからも、ずっと実家通いだった。

実家にいた時も、いってきます、も、いってらっしゃい、も、ただいま、も、おかえりなさい、も言ってたと思うけれど、なんか定型文だったよね。オウム返し的に、そこにあまり思いや感情というものはのっていなくて。

受け身だったんだろうなって思う。

26歳の時に初めて実家を出て、ひとり暮らしを始めた時、いってらっしゃいも、おかえりなさいも、言ってくれる人がいないことが、こんなに寂しいものなんだって、初めて知った。

ひとり暮らしも長くなると、そんな日常にも慣れて、寂しいと感じることもなかったけれど。

結婚が決まって、旦那さんと同じ家で生活を始めた時に、はじめて自分が心を込めて「いってらっしゃい」と言った。

自分が誰かと共に家族を作っていく、という、自分に責任のようなものが生まれた瞬間だったのかもしれないなぁ。

長男が一年生になった時。黄色い帽子をかぶって、大きなランドセルをしょって、玄関で「いってきます」って言う長男に、楽しい一日をね、元気に過ごすんだよ、そして無事に帰ってくるんだよ、って思いをたくさん詰め込んで、「いってらっしゃい」って言ったよね。


そして、今日がある。


今日もみんな笑顔で、元気で、ご機嫌だ。

いってらっしゃい、おかえりなさい、って快く送り出し、迎えてくれる人たちがいるというのは、何よりもありがたいことなのだ。

ここが帰ってくる場所なのだ。

帰る場所があるから、出掛けて行けるのだ。

安心して、飛び立てるのだ。

だから、飛び立とう。そして、疲れたらここに帰ってきて休もう。気兼ねはいらない、その場所なのだから。


Day2

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