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夏至の朝

夏至の朝
ぼんやりと目覚めた時、あぁ夏至だなぁと頭をよぎると同時に、ハートから

大丈夫だ

という感覚がぶわっと溢れてくるのを感じた。

あぁ、大丈夫なんだ。
大丈夫なのに、そのことを受け取ることをせず、大丈夫ではなさそうなことをわざわざ探して自分を不安に仕立て上げていたのではないかという思いが身体から湧き上がってきた。頭ではなく身体から。

これをまっすぐに受け止めようと思った。
真っ直ぐに受け止めて、行動と言葉を一致させよう。

これが夏至の朝に自分と約束した、しばらくの誓いだ。

自分が大切にされていないと感じる出来事が起こるのであれば、それは自分を大事にできていないという自分自身の行いが、単純に外側に投影されて現実化しているだけだ。

誰かを変えようとするのではなく、内側に目を向けて耳を傾ける。そして目の前にいる人にも同じようにする。変えようとしない、そのままを受け取る。

言葉で書くほど簡単なことではない、とここまで書いて、いやそれは私の思い込みなのかもしれないという思いが立ち上がってきた。そういうことにしているのは私自身のように思う。

簡単なのかもしれない。
そもそもすべては、シンプルである。複雑にできていることなどほとんどないし、シンプルに簡単にただやったらよいのだろう。

そういう前提でやってみることにする。
心が動いたことに、感じたことに、行動を一致させて、言葉を紡ぐ。

誰かの話を聴くことは大切にしたいと思うけれど、そこに共感や同情や理解や具体はいらない。聴きながらも、自分の思いを大事にし、自分自身を大切に扱う練習だ。

もう自分を犠牲にしない。がんばればなんとかなるというのもやめる。

そのやり方で心地よくないのなら、別の方法でよいのだ。

どんどん手放していく。
そんな言葉が沸き上がってきた、陽の極まった日の朝。

当時の日にはどんな自分で迎えるのかな。
この半年が楽しみ。

追伸
そして言葉を外側に出していくことも習慣にしようと思う。

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