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わたしが仕事にのめり込む理由

この一ヶ月、GW明けぐらいから激務も激務で、徹夜も何度かしたし、深夜というより明け方までPC開きっぱなしで仕事をし続けても終わらなくて。眩暈が続き(今もなお)、近所のクリニックに駆け込んだほど。

頭がグランッとするというか、ふわふわする感じが続いている。眩暈とも少しちがう。脳梗塞など脳の疾患からくるものだと怖いので早めに診てもらったのだが、原因はストレスや睡眠不足からくる自律神経の乱れと、そして明け方に強い睡眠導入剤を飲むことが習慣になっているから、日中も薬の作用が残ってしまっているのだろうと。CTをとる必要はないでしょうとのことだった。眩暈どめの薬と、心療内科でもらった眠剤が強すぎるから、毎日飲むなら弱めにしなさいとのことで、弱めの眠剤を処方してもらった。

5月から続く大きなタスクの山をいくつも乗り越えて、やっと終わりが見えてきたので、今日は22時と時間を決めて会社のPCを閉じてしまった。在宅ワークって自制しないと永遠に仕事ができてしまう怖さがある。納期の迫ったタスクがあればなおさら…。41歳の誕生日を迎える前の日々は、こんな感じで昨日と今日の境目がよくわからないような毎日だった。鬱の薬はもうすっかり飲まなくなったかわりに、眠剤が減っていくのが怖い。くたくたに疲れても、眠りにつく恐怖が強くて頭がどんどん冴えていく。眠りにつく瞬間が恐ろしくて、スマホを見続けてしまう。窓の外はどんどん明るくなっていく。仕方なく眠剤を舌にすべりこませて脳を暴力的に寝かしつけるしかない。

続く睡眠不足で肌はぼろぼろ、頭はふらふら、髪は伸び放題、頬はこけて顔色は常に悪い。綺麗になりたくて、台湾の美容パックをAmazonで買ったのがやっと今日届いたので、カオナシ状態でこれを打っている。

私は今派遣社員だが、派遣だとか正社員だとかではなく、自分の責任感のみで仕事を押し進めてきた。それと年齢を重ねたことで出てきたツラの皮の厚さも仕事を進めるのに役立ってくれている。いらない忖度とか遠慮とか、本当にしなくなった。人をむやみに怖がらなくなった。3月に未経験の業界に飛び込んだものの手前味噌ながらコミュニケーション力の高さで経験不足を補って、ホントに入社からわずか3ヶ月足らずなんですか??業界未経験なんですか??派遣さんってホントなんですか??と何度も驚かれた。態度がでかいからかもしらん。

HSPの私には在宅ワークがとても合っていると思う。職場に絶対いる生まれつき意地悪な人の悪意ある態度や機嫌が悪い人の冷たい態度、意図的に人を傷つけるコミュニケーションを平気で取る人と直接触れなくていいのは、私にとってとてもとても大きい。人の顔色をうかがってすぐに怯えて、振り回されてしまう性格の私には、視界から入るそういった有害な情報をシャットダウンして仕事ができるこの環境をとてもありがたく感じている。

もちろんメールを通してや、ZOOMでの会議で人と接することはあっても、会社に出勤して働いていた頃に比べると、悪意ある表情とか空気感、不穏な雰囲気とかに触れる機会がぐっと減り、働くことに付随していた不都合が自分にとってどれだけ大きな負担だったのかを改めて感じるし、色々な無駄が省かれたことで力を発揮できているのをとても感じるのだ。ついでに言うと見ず知らずの他人の身体が密着してきておしつぶされ、汗臭くて息もできないような満員電車に乗らなくてよくなったのもありがたい。10年くらい前まではまだスニーカー出勤が今ほど主流じゃなくて、細いピンヒールで満員電車に耐えることも心身ともにしんどかった。

とはいえ、レストランで働いていた時の楽しさはまた別の満足感があった。接客が本当に自分には向いていると感じていて、これを最後のキャリアにしようと初めて思えた仕事だった。派遣社員として働いてきたことが長かった私は、このレストランの仕事を経験して遅ればせながら「仕事で自分を活かしきる」ということを学んだ。派遣のときはどこか、自分も職場の人も「派遣はいつか去る人」というふうに思っていて、どこの企業に派遣されても「よそもの」「一時的な人材」「限られた業務をすればいい人」という意識が強かった。派遣社員=Temporary staffなので意味としては間違っていないのかもしれないけれど、正社員で働く選択肢もあったのに自分で派遣社員という働き方を選んでおきながら、「自分の仕事」と出会えない、思えないことにコンプレックスを抱え続けて生きてきた気がする。自分で自分の人生に真正面から向かい合うことから逃げて来たくせにずっとコンプレックスに悩まされてた感じ。

在宅じゃなければまた違ったのかもしれないけれど、そしてそれは知るすべもないけれど、とにかく私は雇用形態にこだわらず、この3ヶ月間、夢中で仕事を頑張れてきた。頑張れば頑張るほど人が私を(こんな私を)頼ってきてくれるのを感じたし(私ぐらいしか頼る人がいないから仕方なくだとしても)、それに応えることで自己肯定感や甲斐を感じていた。頑張れば頑張るほど仕事量は増えた。ボーナスもない、3ヶ月更新の契約の時給で働く派遣社員だってことをたぶんみんなも、そして私自身も完全に忘れてただただのめり込むように夢中で働いてきた。私の目から見て、正社員とやっている業務内容に大きな違いはないように思えた。

でもそんな働き方に自分自身もどこか病的な、依存的なものを感じていた。それにはっきりと気づいたのは、クリニックに行かなきゃまずいかもと思った朝だった。

明日私が「身体壊したので辞めます」と言っても、また次の派遣の人を雇えばいいのだ。会社は回る。でも一度壊れた自分は、とくに心が壊れてしまうと、完全にはもとに戻らないことは自分がよく知っている。割れた茶碗を接着剤でくっつけても一度壊れたものは壊れやすくなるみたいに、癖になってしまうように、私は一度壊した心をまだ完全に治せてはいない。

眩暈がひどくてクリニックに行かなきゃと思って、服に着替えて化粧をした。何かから逃げるような行為を、またやってしまったと思った。何か、恐怖から逃げるように、どこまでものめりこんでしまう。ちょっと自傷行為にも似ているし、とにかく何かからの全力の逃避がイコールになっていることは薄々気づいていた。

家族に「お姉ちゃんがどんなに頑張っても正社員は6月にボーナスもらっててお姉ちゃんにはないんだよ」と言われて無になった。

見て見ぬふりをしてきたけれど、私が仕事にのめりこんだ理由をあげてみるとこんな感じだ。見ないふりをして、手を動かせば動かすほど放出され続けるアドレナリンに助けられながら、まるで中毒者みたいに働いてきたけれど、理由はこんなもんだ。

・派遣社員ということを忘れたかったから
・頑張れば正社員になれると言われたから
・承認欲求が強すぎるから
・自分は本当はカラッポなんだという現実から目をそらす必要があったから
・できない、やらないと言えないから(できないというフレーズが恐怖)

派遣だから楽でいいやと思ってはいけない強迫感があった。それは自尊心と直結するものだった。仕事がなくなればまたカラッポの自分に戻ってしまうだけの私は、つまらない、なかみのない、それこそカラッポの自尊心にしがみついていただけだ。

怒涛の日々は終わりを(たぶん)迎えようとしている。

ずーっと、ほんとは知ってたのに見て見ぬふりしてた真実をふたたび思い知らされることってあるよな。魂の欲求に気付くというか。私最近それがあって、それにずいぶん生きるということを助けられている。そろそろカラッポ人間じゃなくなる一歩を踏み出そうとしている自分がいる。詳しくはまた書くね。41歳になってもずっと思春期みたいなのは、きっと一生こうなんだろうな、私。いまだに自分を持て余してる。次回は自分のナルシシズムを改めて自覚したことについて書こうかな。

1時半だから、寝ます。なにはともあれ布団に入って目をつぶってみるよ。

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