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期間限定の「毎日が日曜日」

2024年6月20日(木)

有給休暇に突入した。初日の今日は親友とキャッチアップした。エジプト料理が食べてみたくて、Twitter(もうTwitterではなくXなのは知ってるけどなんだか馴染まない)で紹介されてた水道橋のスフィンクスに行ってみた。写真から見たエジプト料理のイメージと実際は全くちがっていた。何事も体験に勝るものはないと、大げさだが思った。おめあてのモロヘイヤスープがなかったのは残念だった。いつかエジプトとモロッコに行きたい。スペインとポルトガルにも。

7月から始まる仕事の前のつかの間の休みは、人と会う約束でぎゅうぎゅうに埋まっている(埋めたのは自分)。予定がないとベッドでスマホとともに無為に一日を終えることは目に見えている。

それにしても予定を詰めすぎた。カレンダーが真っ黒だ。読みたかった本や、趣味のブローチ作り、LINEスタンプ作りも、この休みの時間を利用してやりたかったのだということを、今さら思い出した。本当はやりたくなかったのかもしれない。

3年間の在宅勤務で常にデスクにパソコンが開かれていた。外出から帰宅してデスクのパソコンをのぞきこんでふと、常にパソコンをチェックする癖があることに気づいた。以前の記事に何度か書いたように、私は在宅勤務が本当に向いていた(もしかしたら多くの人がそうかもしれないが)。でも在宅勤務にもデメリットはあって、強い意思を持って自分で仕事とプライベートの境目を線引きしないと、気づけば夜中までキーボードを叩いている。

会社に返却してパソコンのないデスクに、仕事を辞めたことを改めて実感している。今度の会社は会社の自分のデスクにパソコンがある。この部屋は職場ではなくなるのだ。

どんなチャンスも逃さないように、語学の勉強は続けようと思う。自分の目の前に流れて来たチャンスにジャンプインするタイミングを逃さないように。それは大縄跳びの呼吸のように。

2024年6月25日(火)

数日、日記を書いていないあいだに梅雨入りした。朝から土砂降り。
この連休中にやること。読みたい本をせめてそろえる。リュックを売る。スタンプを作る。スキンケアの勉強をする。

2024年6月26日(水)

後回しにしない。今年に入って、折に触れて思うこと。
なにごとにも賞味期限がある。お料理は冷めないうちに頂く。

今日はデパコスでタッチアップしてもらって、お化粧の仕方を教わってきた。若い頃から熱心にメイク研究をしたことが一度もなくて、この年齢まで全く我流のメイクで乗り切ってきた。自分に似合うアイシャドウの色を知らないので、コスメカウンターで見て「綺麗な色!」と衝動買いをして、結局自分の顔に合わず、ポーチの中で眠っているアイシャドウがたくさん転がっている。惚れ惚れするような新鮮な青、深海のような紺。色自体は魅力的でも、自分の顔に乗せるとロックバンドのギタリストみたいになってしまう。今度、ちゃんとカラー診断というものをやってもらおうと思っている。

ビューティーアドバイザーさんによると、化粧品は1年で使い切ってください、とのこと。人には絶対言えないが、使用頻度が低い色のアイシャドウなどは10年前に買ったものがまだポーチに入ってるし、口紅も同じものを8年ぐらい使っている。

当たり前のことだが、肌に乗せるものなので長年使い続けて劣化したものが良いわけがない。つまり、不要なものを買いすぎていた、ということだ。メイクにもトレンドがあるし自分の好みも変わっていく。10年前は良いと思ったものも時間が経てば古臭く感じるようになる。これからは、必要なものを必要なだけ買って、適切な時期に使い切るようにしよう。

増えてきたシミを隠すためと、顔に光を出すために、コンシーラーとハイライトも買った。仕事を辞めた解放感で財布がゆるみっぱなしでかなり危ない。そういえば7月は給料が入らないというのに、そんなこともすっかり忘れて(どうするつもり?自分)。

40代に入ってコロナ禍に突入し、マスク生活に完全在宅で私の顔は伸びきってしまった。そしてもともとシミが多い顔にさらにシミが増え、目尻には深い笑い皺。万年睡眠不足で(眠りにつくのが怖い病気なので)顔が粘土のようにくすんでいる。

休暇に入って自分を見つめる時間ができたことで、この老いが加速した自分をなんとかしよう!とギアが入った。食事と睡眠、それからお肌ケアと身体ケアについて、勉強を始めた。梅エキスを買って飲んでみる。今度の会社に近いところでピラティスも始めたい。ピカピカの自分でいたい。

2024年6月27日(木)

今日は外苑前でちょっと憂鬱なランチだった。場所は素敵なのに。。。

海外の知り合いが10年ぶりに声をかけてくれて、彼女が今東京に来ているということで、ランチに行くことになったのだが、私がレストランの予約をしたあとにさんざん振り回されて(詳細は割愛しますが)、もうランチもキャンセルしてその人とも距離を置こうと思ったぐらいに失礼だったのだが、共通の知り合いからお金を預かって彼女に渡すことになってしまったため、ランチをキャンセルすることもできず。

ランチは安くないフレンチで、まわりのテーブルは同僚のお祝いごとや、特別なデートで来ていますという感じのカップルなど。テンションが下がり切った私はさらに冷めてしまった。ファインダイニングのフレンチはフォアグラ推しで、アペタイザーとメインで使われていた。それも私には厳しかった。フォアグラは食べていて気分的に楽しめない。それを言ってしまうと豚肉や牛肉も同じなのだろうけれど、フォアグラはもっとたちが悪い。

「シンガポールに来るときは声かけてね!」「Keep in touchね!」と何度か言われて憂鬱になった。心にもないことを言うのは気が引ける。甘やかされて育ったお嬢さんなんだろうが、いい歳をして他人に迷惑をかけて平気な人はごめんだ。邪推かもしれないが、彼女はファインダイニングめぐりをよくしていてインスタに自撮りとともにかなりの頻度でアップしている人なので、東京で、行きたかったレストランに一緒に行ってくれる人だったら私でなくても良かったのかもしれない。

ランチは2時間とすこしで終了。外苑前からさっさと帰宅した。「相変わらず面白い」と言われたのも、相手は全く悪気ないだろうがあまりいい気はしなかった。おそらく昔、彼女といた頃の私はクラウンを演じていたのだと思う。居心地のあまり良くない環境をなんとか解決するために、よくクラウンになっていた過去の古傷を思い出してしまった。当時はそれで居心地の悪さを解消していたが、クラウンをやっていた自分が好きではなかった。

たいして笑わせるつもりもなかった私のあるセリフに彼女が大笑いし、「相変わらず面白いね」と言ったのだった。このランチの席でひと笑いあった、という既成事実を作りたかったのだと思う。

彼女が10年ぶりに声をかけてくれたおかげで、共通の知り合いと久しぶりに会うことができたので良しとしよう。着る機会があまりなかった赤いパンツと、ひさびさにおろした白いブラウスで、何年ぶりかのファインダイニングを乗り切れたのも満足。彼女と会うことはもうないな。この歳になると、プライベートで不要な人間関係に使う時間が惜しい。人間はものではないので「人間関係の断捨離」という言葉には抵抗があるが、誰に時間を使うかは線引きしたい。縁があればまた繋がるはずだと思っている。

コロナですっかり「ちょっといいところ」へおでかけなんていう機会も減ったまま、コロナ前に用意していたおでかけ用の服がどれも自分の中で古臭いものになってしまった。ものは悪くないのだけれど、年齢とそぐわなくなってしまったり、完全に今の自分とマッチしない。いつか着るつもりでタンスで眠っていたけれど、賞味期限が切れてしまったようだ。


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