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モコ

この4月に愛犬を亡くした。15歳だった。3か月の闘病、というか事故の怪我から3か月体調が安定せず、結局怪我が原因で身体をいためて天国に逝ってしまった。

15歳と高齢だったけれど食いしん坊で心は3歳で、甘えん坊でわがままで無邪気で、何度もごはんをねだるモコを見ながらあと3年は生きるねこりゃと家族は笑っていた。

年末に事故があってから体調は一進一退で、あんなに食いしん坊だったモコは内臓すべてが事故でめちゃめちゃになってしまったせいで何も食べられなくなって、顔の骨も浮き出るほどに痩せてしまった。大好きなサツマイモをモコの顔に近づけても何も反応しなくなってしまったのには絶望だった。食いしん坊で、抱き上げるとずっしりと重みのあったモコは、嘘のように軽くなってしまった。痛々しかった。

モコの看病は慣れないことばかりで、家族は喧嘩が増えた。モコを病院に連れて行くのは専ら母で、これから良くなるのか、あとどのくらい生きられるのか、覚悟したほうがいいのか、医師からはっきりしたことを何も聞けずに帰ってくる母を我々は暗に責めた。薬の種類について問い詰めたり、医師の説明を聞いてきたままつたなく話す母に詰め寄ったりした。母はモコを溺愛していたが、溺愛していただけに、そんなふうに家族中から暗に責められたり、日に日に痩せていってしまうモコとその看病に母の心は荒れた。また、もともと不仲の夫婦は最悪の喧嘩を何度も繰り返し、モコがいなくなったらいよいよ離婚になるかもと危惧してしまうほど家庭が暗くささくれだった。

老夫婦の喧嘩をそばでみていた私が母に意見したことがきっかけで、母と大喧嘩になった。モコが寝ている枕元ということは気づいていたが、母の傲慢さが許せずつい声を荒げてしまった。モコは全部聞いている。私たちが怒っていることも知っている。だいぶ長いこと喧嘩してから、私はモコに謝った。

モコが何も食べなくなってからはシリンジで、ドロドロにしたお粥を無理やりモコの口に入れるしかなかった。モコはシリンジで薬を飲まされるのを嫌がって、母はモコの嫌がる薬をあげる役割を任されていることが苦痛で仕方がないようだった。母は何度も何度もモコに謝りながら、モコの口をこじあけてシリンジで薬をやっていた。

モコは衰弱して水も自分で飲みに行けなくなったのでシリンジで飲むようになったのに、おむつをしていてもおしっこやウンチを寝ながらするのが嫌で、起きあがろうとし、母が介添えすると自分で歩いて、いつもシートが敷いてあった場所まで歩こうとするので、私たちはいそいでシートを敷いてやると、そこでおしっこをした。もう何日も、一日にわずかなお粥と水しか口にしないので、モコは骨と皮になってしまった。ふらつきながらおしっこをして、ヨロヨロと倒れてしまうのを見るのは胸が張り裂けることだった。

モコは本当におとなしい女の子だった。通っていたモコの病院の庭を母はリードなしで歩かせて、ほかの来院者から顰蹙を買ったが、モコがあまりにもおとなしく、ちょこちょこと少し歩いてはママいるかな?と不安げに母を振り返って立ち止まる様子を見て「なんておとなしい子なんでしょうね、リードなしで庭を歩かせて平気なんて!」と驚かれたという話を母は今でも何度もする。

モコは怖がりで気が弱くて寂しがり屋で、ひとりで眠れない。母と話そうと私が22時頃に居間に降りていくと「今ママと寝るところなのに何しに来たの!」とモコに睨まれた。長いこと人間と暮らしていると、表情が人間ぽくなってくるんだなと思った。私はよくモコが寝る頃になって降りて行って母と話しこんだので、モコによく怒られた。モコは吠えたり歯を剥いたりは決してしなかったけれど、かなり念のこもった瞳で私をジッと睨みつけていた。

私は失恋が多い人生で、この実家から何度か男にむかって一直線に突撃しては撃沈して、何度も実家に帰って来て泣いている。そのたびにモコが私の部屋に来てドアをノックして、私がベッドにモコを誘うと一緒に寝てくれた。私は泣きながら寝ていたのだが、モコがそばにいてくれた。モコはただ私の部屋に来ただけかもしれないけれど、モコがいてくれてよかった。

私はモコの後ろ姿、モコの後頭部をよく見た。モコの背後に寝るのが好きだったから。それと、モコのちいさな後頭部を見ながら横になるのも好きだった。モコが日の入る窓際で日向ぼっこしていると私は近寄っていってモコと一緒に寝そべった。モコはそんなとき、居心地が悪いのか何度も何度も体勢を変えたりして、ベストポジションを見つけたのか静かになったなと思ったらスッと離れていってしまうのだった。

モコは優柔不断だった。天気がいい日に玄関のドアを開けるとモコが外に出たそうに見ているので、「モコちゃん日向ぼっこしな」とモコの小さな外用のベッドを玄関先の小さな庭に置いてやると、やっぱいいわ。といった感じで部屋に戻ってしまうのでベッドをしまうと、また玄関に戻って来たりした。

おしっこをするのも水を飲むのもためらう子だった。モコのトイレは、モコが元気だった頃は玄関だった。モコが玄関に向かうのはトイレの合図なので我々人間が急いで飛んで行ってモコのシートを玄関に敷いてやる。モコは考え込んでしまったように立ち止まっておしっこをしない。私たちは「また考えこんじゃったよ」と笑った。「モコちゃんおしっこじゃないの?」と声をかけてやってしばらくすると、やっとしゃがみこんでおしっこをした。

今思うと、玄関のたたきを降りるのが怖かったのかもしれない。人間でも感じるしっかりとした段差なので、ちいさなモコからしたら崖を歩いて降りるような感じだったのかな。ためらう性格のモコを笑うつもりでこの一文を書き始めたのに、そんなことに今さら気づいた。モコ、ごめんね。

でも、おしっこしたあとも立ち止まって何か考えこんでしまう時が多々あったから、真相はわからないな(笑)モコはあんなとき、立ち止まって何を考えていたのかな。考え事が終わってトコトコと居間に戻ってくる途中もふと立ち止まて何か考えてたな。モコちゃん、あんなとき何を考えていたの?

モコは2007年頃に我が家に来たんだったと記憶している。2010年春に私は家族中に反対された男性と一緒に住むと言い張って家を飛び出ている。結局半年もせずに戻ったのだが、そのあとも何度か不確かな恋愛に溺れたり、確かそうに思えた恋愛も結局だめになったりして、家を出たものの結局は戻っている。モコから見た私は「おそらく帰属する場所はここなのだろうけど長期で出稼ぎに出ていくことが多い人」といったところか。漁師みたいな(笑)

ただいまとドアをあけるとモコが玄関まで来て尻尾を振った。モコはとても嬉しい時、尻尾だけでなくお尻まで左右に振っていた。

母はモコを溺愛していて、モコも母さえいればそれでよかった。私はコロナで在宅ワークになってからは、朝から晩まで部屋に缶詰で仕事をしていて、夜遅く仕事が終わって居間に降りてはじめてその日モコに会うということも多くなった。両親がともにパートに出る日も、私は部屋に缶詰で、母が夕方17時半にやっと帰ってくるまでモコは一人で留守番をしていた。晩年は寝てばかりだったけれど、こんなに早くにお別れがくるなら、仕事なんか放っておいてもっとモコのそばにいればよかったな。

話は全く変わるけれど、私はコロナ前に、いつかパーティにお呼ばれした際に着ていく「いい服」を持っていないことがとても心細くて、パンプスとかバッグとか、趣味の悪い…当時は個性的でいいじゃんとか思っていたけれどよく見たらただの悪趣味な…ドレスとかを買い漁っている時期があった。そもそも社交場なんてないのに、「いつかパーティに呼ばれたらどうしよう」という強迫観念にとりつかれてしまった。

気づけばそういう派手な催しはコロナですっかりなくなってしまったし、そもそも私のライフスタイルにパーティなんて存在しなかった。コロナをきっかけに無駄なもの、不必要なものが急激に淘汰され、世の中はだんだんと華美で派手な見せかけの思考から、シンプルな本物・本質思考に移行したようにも思う。

タンスの中は一度も袖を通したことのない「社交用の」ドレスが出番もなくいくつも並んでいた。私の不安が形になって色とりどりにいくつもぶらさがっていた。すっかり時代遅れになった陳腐なドレスは違和感しかなくて、こんなに買ったのにもったいないとも思ったけれど、ほとんど処分してしまった。

モコのこともあるけれど、今を生きるということをとても意識するようになった。いつかこうなる、いつかこうするじゃなくて、その準備ができてからではなくて、今。今、理想の自分になる。今。今を精一杯生きる。いつかこうなりたい、いつかこうしたいじゃなくて、今なる。今が理想に一番近い自分であるように。備えることは大切だけれど、同じくらいに、今この瞬間を楽しむ、精一杯生きることが何よりも大事だと思う。ありふれすぎた言葉だけれど、今を生きるということ。

モコは我々が予想した年齢を大きく裏切ってあっという間にこの世からいなくなってしまった。とはいえ、母に溺愛されて穏やかな日々を送っていたモコの最期は、身体中が痛くて、大好きなお芋も全く食べられなくなってしまって、「モコちゃん頑張って」と声をかけることをためらってしまったぐらいに悲惨だった。こんなに苦しいのなら早く楽にしてあげてという祈るような思いもあった。それでもモコは高潔だった。排泄もヨロヨロになりながらも自分で行こうとしたし、あんなに小さな身体に苦痛を一身に受け止めて静かに目をつぶっていた。その枕元で口汚く喧嘩をしていた人間が一番愚かで恥ずかしい。そのことに気づいていながら争いを続けたことも。

モコがいたことをたしかめるように、モコのてのひらのナッツみたいなにおいや、モコのすべすべの毛並みや、ベルベットみたいな薄い耳や、しらんぷりを決め込んだ顔であくびをするときの大きく開けた口の音なんかを思い出している。


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