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自己紹介

1968年に生まれ、田んぼや畑や空き地だらけの町で育ちました。

上の写真はオレゴンにあるユージーンという街に住んでいた時に撮したもの。
2014年から2016年の2年間、車はなく、
徒歩でどこまでも行きました。

歩くことは翼を貰ったよう。

今回の自己紹介は、人編。
今までに出会った3人の方々を紹介させて頂きます。


1人目は、高校時代の国語教師、しのぶ先生。

髭が生えてて、
剣道部の顧問だったからか、
記憶に残る先生は紺色の袴姿。
或いは、それしか着てなかったような気もします。


ノスタルジイとは?
良心の呵責とは?

ある物語を読んで、そこに出てきたこの2つの言葉について
毎時間話し合う授業
が、確か1学期間続いた。

とにかくこの授業の事が今も鮮明に覚えていて、
その他のしのぶ先生の授業は全く覚えていない。

そして、
期末テストの問題は、

ノスタルジイとは?
良心の呵責とは?

この2つのみ。


心に残る人、2人目は、
踊りの先生。

北海道釧路に住んでいた頃、
日本舞踊を習おう!
と、

なぜか思い立ち、

電話帳で探すと3つ教室が載っていて、
何気なく選んだのが、
高玲塾の高玲子先生。

日舞も教えて頂きましたが、
日舞の先生というより、
創作ダンスを主にされて発表されていて、
そのお手伝いをしたり、
仕事前、毎朝の散歩や体操を一緒にしたり、
そういう時に様々なことを教えてもらった。

結婚後に電話で話をした時の先生語録、


「みきちゃん、答えはいつも自分の中にしかないのよ」

それはそれは、きっぱりと。

「芸術はね、宇宙との交信から生まれるの」

もう、そうなのだからしょうがない的に。


思慮深く正直な人で、そして温かかった。


そして、3人目は、
2001年結婚して、今も一緒に暮らす、
伴侶。

2011年、幼児教の経験も教育も受けていない私が、
日本語補修校で、
3〜4歳児16人のクラス担任をした時、
想像を超える責任の重さと自分の不甲斐なさで、
毎回緊張で吐きそうになってた私に、

もし俺が君の立場だったら、こう考える。

「俺が教えられるものを教えるしかない。
自分のスタイルを自分の方法で作っていくしかない。」

と。

私にとっての水先案内人です。


今まで出会った人は、
影響の大小あれど、
様々な方法で、
私という人間を教えてくれた
先生達。


「自分で これこそ真実であると信じるものに
目を瞑る事なく、ほんとうに自分自身に忠実であること、
良心の命令に素直に従える事です。
それさえできれば、世間がどう見ようと、
自分は自分としての最善を尽くしたのだという信念が湧いてきます。

人のために 自分を役立てること、
自分が生活している社会のために尽くすこと、

温かき愛と、悠然たる自信と、確固たる信念を持って生き、
道を失った人々が、あなた方を見て、光明への道は
きっとあるのだと感じ取ってくれるような、
そういう生き方をなさってください。」

ノートに書いてあった言葉、
どなたの言葉か書き残してなかった、、、。

マハトマ・ガンジーだったような気もします。


これは、確かにガンジーの言葉、
「何か信じるものがあるのに、それに従って生きない人間は信用ができない」
「目的を見つけよ。手段は後からついてくる。」
「未来は、今、我々が何をなすかにかかっている。」
「幸福とは、考えること、言うこと、することが調和している状態でる。」

私の考えを 言葉にして、行動へ!


ありがとうございました。

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2011年に出会った、シュタイナー教育。 ストーンと心に落ちてきて、今も静かに光っています。子ども達やおとな達の心の灯りが輝き続けるような社会はきっと目の前にある。 様々な地で生まれた叡智と、先人達が残してくれた勇気と一緒に、歩きます!