ゲーマーといえどもピンキリ
今回は、ゲーミングカップヌードルを食べた時の事の話。
コンビニに置いてあって、思わず手に取ってしまう。私はやっぱり根っからのゲーマーなのだろう。そんな私がゲーミングカップヌードルにかこつけてゲーム話がしたいだけの記事である。
虹色に輝くゲーミングPC
コンビニで、ゲーミングカップヌードルという商品が売られていた。パッケージの色彩が正にゲーミング。
間違いなく、ゲーミングPC及びキーボードが放つ色のイメージである。ゲーミングPC売り場に行けば分かる。一旦売り場に入ると、あちこちでこのように虹色に輝いていて圧倒される。下記は、何故ゲーミングPCや周辺機器は虹色に輝くの?という疑問に、ゲーミングPCメーカーの方が答えているインタビュー記事である。
それにしても、ゲーミングPCは値段を見ても高額な物ばかりで、現在貧乏な私にはとても手が出ない。安い中古車なら買えてしまう金額だ。
何も知らない非ゲーマーな人が、あの煌びやかな売り場の高額ゲーミングPCを見たらどう思うのだろう。「ゲームなんて子供の玩具」という時代は、とっくの昔に終わっている。
ゲーミングカップヌードル実食
ゲーミングの事は一旦置いておいて、ヌードルを食べてみた。
麺を口の中で噛むと、口の中でガツンと強烈にニンニクが主張してくる。ニンニクが主張し過ぎて、強制的にエナジーを補給する為だけに存在しているように感じる。精力が付きそう……。昼間ではなく、夜に食べて良かった(注:精力ではなく匂いの問題)
確かにガツンとはきた。やみつきになるかは人それぞれとして。なるほど、汁がないのはゲーム中には良い。基本、ゲームしている時はせわしなくて手を放しづらいから。ガチャガチャとキーボード、もしくはコントローラーを動かして合間で食べるとなったら、私なんて、汁付きのヌードルを横に置いておいたら、倒して汁をこぼすかもしれない。
あと、成分だが、カフェイン・アルギニン・ナイアシンだが、どれもエナジー的な役割を果たすのだろう。ゲーミングPCを使うような猛者ゲーマーは、徹夜するだろうし(これは偏見)、プレイ中は体力と集中力を使うと思うので。
でも、これって、別にゲーミングという名でゲーマーをターゲットにしなくてもいいよね? 同じ成分で、『ガテン系(死語?)職業』や『受験生』『アスリート』などもいけそうだ。
今回あえてゲーミングが選ばれたのは何故だろう? 日清がゲーミングPCメーカーとコラボしている訳でもない。どうせなら、ゲーミングPCメーカーのガレリア辺りとコラボして、ゲーミングPCが抽選で当たるQRコードでも付ければもっとゲーマーに売れたと思うのに。それか、ゲームで使えるプリペードカードとか。
食べた感想としては、とにかくニンニクがキツかった。ゲーミングはおいといて、ニンニクが好きなカップヌードル愛好者にはいいかも?
e-スポーツと私の関係
冒頭に書いた通り、かこつけて他のゲーム話へと続ける。
今は昔と違って、ゲームにはe-スポーツというジャンルがあり、プロのゲーマーが競い合って賞金を稼ぐ時代である。
私は自他ともに認めるゲーマーである。しかし、ゲーミングPCはないし、基本はヘタレプレイヤーなので、e-スポーツとはあまり縁がない。上記リンク先で挙げられている下記のジャンルはほぼプレイしない。せいぜい、パズルゲームで「テトリス」や「ぷよぷよ」をしたくらいだろうか。しかも、対COM専門で生身の人間とは対戦しないし。
FPS/TPS
RTS
MOBA
格闘ゲーム
スポーツ/レーシングゲーム
パズルゲーム
音楽ゲーム
e-スポーツは基本が競うゲームだけれど、私は競わないゲームしかしない。RPGやシミュレーションRPG、アドベンチャーゲーム専門。
しかしながら、e-スポーツでゲームが世間に注目されて、ゲーマー人口が増えれば、ゲーム業界全体が盛り上がる。そうすれば、メーカーが潤って良質なゲームを開発してくれて、ゲーマーの中でピンキリのキリであるヘタレゲーマーな私もハッピーになれる。e-スポーツと私は密接ではないが関係はあった。
ソシャゲの課金制度について
かこつけついでに、最後にもう1つ。
私は古参のゲーマーなので、ソシャゲの課金システム反対派だった。何故、昔は売り切り型の販売方法だったのに、今は後々まで課金されないとならないのか。そもそも、基本無料という餌で釣っておいて、課金を促されるやり方にどうしても嫌悪感があった。タダほど高い物はないという古い考えに固執していたせいもある。
しかし、「ファイアーエムブレム風花雪月」というswitchのゲームをクオリティ高く作る事が出来たのは、ソシャゲ「ファイアーエムブレムヒーローズ」の課金売り上げで潤ったお陰という噂を聞いた。それから、課金制度を頭から疑問視するのをやめた。
考え方を変えてみれば、ソシャゲはエンディングがなくサービス終了まで長く運営しなければならない。だから、どうしてもメーカー側に運営費が掛かり続ける。昔のエンディングを迎えれば終わるゲームと同じに考えてはいけないのだろう。最初の無料は体験版をやっていると思えばいい。自分に合うと思ったら、制約に縛られるが無課金で細々とやるのも良いし、払える範囲で課金してもいいし、合わなければ速やかにやめればいい。少なくとも、売り切りで買った後に、思ったのと違って払って損したという事はない。
今では、私も合わなければやめるし、気に入ったソシャゲには、メーカーへのお布施として少額だが課金している。ただ、追加コンテンツを高額購入させるゲームには辟易する。それは、お金持ちの信者達に任せている。昔、知り合いが某ソシャゲにハマって、高額をつぎ込んでいたのを思い出した。趣味というのは生活にさえ困らなければ、何十万の絵画を買おうが、何十万ゲームに課金しようが個人の自由である。
最後に
どうしてもゲームの話をしだすと、止まらなくなる。
私にとって、ゲームは趣味という域を超えて、ライフワークである。どれだけe-スポーツが盛んになろうと、マイペースにヘタレゲーマーとして、スタンスを変えずにマイペースにゲームを楽しんでいるだろう。
最後まで読んで頂き、ありがとうございました。
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