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『京都銀行』のはなし

工学倫理という分野で必ずといっていいほど取りあげられる『フォード・ピント事件』をご存じだろうか。ピントとはアメリカの完成車メーカであるフォード社が販売していたコンパクトカーで、ガソリンタンクが後側バンパーと近接した構造になっており、追突時に被害が甚大となりうる構造上の欠陥を抱えていた。

当時のフォードはそれを認識しながらも、『設計変更をするより、事故がおこったあとに賠償金を払った方がコストが安い』と判断をし、販売に踏み切ってしまった。そして実際に死亡事故が起こり、非難を浴びたのだ。(ただし、現在となってはこのストーリーには諸説ある)

小難しそうな問題だ。真に正しい回答なんてお釈迦様でもわかるまい。僕が言いたかったのは、技術が世に受け入れられるにはただただ理論的な面だけを抑えていても不十分である、という話だ。

前座が京都銀行くらいなが~~~~~~くなってしまったが、やっと本題に入る。京都銀行のなにが長いのかは自分で調べてほしい。

僕は大学で電気電子工学を学んだが、この学科には電磁波やらや原子力発電やら、なにやら批判を受けがちな領域が多い。

『電子レンジで加熱した食品には発がん性が宿る!』という見出しのネットニュースを見かけたり、原子力反対派のデモ行進に通学中 遭遇したりもした。『今からその電磁波や原子力を学びに行くんだけどな』とちょっぴり複雑な気持ちになったことを覚えている。

僕は電磁波や原子力の一般的な危険性に言及できるほど賢くない。さらに言えば、"その人にとっての" 危険性なんて環境や前提条件でいくらでも変わる。だが、ただ1つだけ注意していることがある。それは、ある技術の危険性を考えるとき『素性がわからないことによるこわさ』をできるだけ、なくすことだ。

知らない人に電話をかけるのがイヤな人はいないだろうか?この苦手意識はまさに、『素性がわからないことによるこわさ』によるものだと思う。これは克服すべき『こわさ』だ。

知らない人だって電話して話しかけたら案外気さくでいい人かもしれない。なのにろくに話もせずに『あの人とは話したことないけど怖い人に違いない!』と周りに吹聴することは、不誠実だと感じないだろうか。ね?決めつけちゃダメでしょ?ほらあの人泣いてるよ?あ~泣かせた~。先生に言ってやろ~。い~ややこ~やや~ 先生に言ってやろ~。

もちろん逆もある。『なんかあの人は甘そうだから、先輩だけどタメ口で話すか・・・』なんて思って軽い口をたたいたら、実は厳しい人でボッコボコに怒られるかもしれない。結局、素性もわからないまま自分の憶測で物事の本質を覆ってしまうことは恐ろしいことなのだ。

対して、ずっと同じ職場で働いているめちゃくちゃ短気な上司に電話をかけるのがイヤだと思ったとき、この苦手意識はそのものがもつ本質的なこわさによるものだ。これはある意味正しい怖さ。

このように、憶測によって世界の本質をゆがめてしまわないためにも、客観的事実を説明する手段としての科学的手法を学ばなきゃいけないと思う。いつか『なんで学校で理科なんて勉強なんてしなきゃいけないの?』と子供に聞かれたら、そうやって答えよう。

なんか当たり前のことをくどくどと、つまらない話をしてしまった。前座も長けりゃ本題も京都銀行くらいなが~~~~い話だ。まあ、そんな日もある。もういっそタイトルも『京都銀行』のはなし、でいいや。

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