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文通 5月17日

この家に越してからずっと
悲しくても胸が痛くなるだけだったのに
自然と涙が出てきた。
先月出していた手紙の返事が届いたのだ。

ポストを確認しては
まだこない、まだこない、と毎日心で呟いていたが
やっときた。うれしかった。

白くて軽い、カサカサと音の鳴る封筒を開けると、
とっても小さな原稿用紙が数枚入っていた。
初めて彼の字を見た。まだ(わたしのなかで)実体のない彼が書いた文字。

中身を見て驚いた。

頼りない琥珀色の灯りと、孤独な弦楽器の重たさ、この指の痛み。
「猫は何でも知っているので」そう言った彼の言葉に、納得する暇もなく従ってみた、雨上がりのあの日。
彼がどこまでを知っていて
どこからがわたしの外れた解釈かはわからないが
生成りの小さな原稿用紙にあったのは、確かに、"わたし"だった。
わたしの住んでいるこの街の色が、しっかりとこの紙に写っていたのだ。

「春を歩く、第一通」
そんな題がつけられていた。

知らない誰かの文章に自分を重ね合わせること
は度々あることだが
特定のヒトが言語化したわたしがこの世に存在していること、
それは、それは、この上なく、

涙が溜まって、鼻の頭が熱くなった。
「わたしはほんとうに透明人間ではない。
認識されている。」
そう思える喜びも混ざっていたように思う。

梅雨のはじまりに出逢ったはじめての気持ちを
こうして、記しておきます。


言葉は不自由だけれど、やはり言葉が好きだ。

この手紙の返事を書きに
曇りの商店街へ出る。
今夜出かける洋服はまた後で考えよう。

こうして、なんでもない紙に、
また意味が宿ってゆくのだ。
ほら、家を出よう、溜まる言葉が嘘になる前に

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