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愛とか守るとか信じるとか。

2021年12月23日。

義理の母から伝えられて今日は実の弟の誕生日だと気づく。あひゃー!
弟よ、25歳の誕生日おめでとう。
あなたも流石にここからは大人の仲間入りね。
そんなことを思いながら「おめでとう」とだけスタンプで伝えた。←スタンプで、、、

ポコちゃんは日に日に人間に近づき、まるで自分のことをティーンエイジャーだと思っているかのような立ち振る舞いを披露してくれている。(来月で2歳を迎える娘)
本当にそれが可笑しくてたまらなくて怒らないといけない場面でも真剣に怒らせてくれないんだから困ったもんだ。
完全に私はポコちゃんに溺れている。
こんなにも私の時間を割き、こんなにも癒しをくれる生き物はもうこの世にポコちゃんしかいないであろう。
それを知ってしまった私は今までと違う感覚を身につけ、世界が少しずつ違う風に見えていくのをポコちゃんの存在を知ったその日から目の当たりにしてきた。

愛ってなんだろう?

守るってなんだろう?

信じるってなんだろう?

そんな漠然なことに一生懸命向き合ってきた、気がする。

考えなきゃいけないという義務感より

考えざるを得ないという諦めに近い。

できることなら考えることをやめたかったけど、やめたら生きる意味がわからなくなるみたいな。

自分以外の誰かを本当に大切にするってめちゃくちゃ難しいというか、複雑?
想いだけじゃどうにもならなかったりしますよね〜みたいな。

大人になればなるほど色んな角度から物事をみれるようになってしまうから、色んな角度からの想いと想いがぶつかったりしたらものすごく荒れるんですよ。笑

あれを沈ませるって本当に難しい。

だけど、ぶつかって荒れたものを私じゃない誰かが手を差し出して調整してくれたりぶった斬ってくれれば、またそこから交わったりして少しずつ穏やかになるんですよね。

これってすごいことだなあって
なかなか体験できないんじゃないかなあって
今までの私の感覚なら交わるということが幻で終わっていたなあ、なんて。

そんなことを体験すればするほど、

そういう愛とか守るとか信じるとか

そういうのが理屈ではなくなってきている。

それを肌で感じれているんだから本当におもしろい。

それは家族になれば感じれることでもないし子供ができれば感じれることではない、本当に貴重な何かが私を突き動かし世界を面白おかしくみせてくれているような。

その感覚を感じる度に私は冷静に見つめ直し、また新たな世界の眺め方を学ぶ。

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治りかけた傷口というものは
ほんの少しの油断ですぐに開いてズキズキと存在感を露わにする。

だからこそ、その体の一部である傷口に関しては
遠い意識の中だとしても確実に見守っていなければならない。
しかも、その役割を果たせるのは自分だけなのだ。
この痛みがどの程度の痛みなのか、それはきっと自分にしかわからないし、治りかけては開いてを繰り返していく度に深くなっていく可能性もある。
自分で切ったものもあれば誰かによって切られたものもあったりひとつではないかもしれない。

だけどそれはしっかりと自分で守らなくてはならない。

他人に優しく声をかけられていたとしても、自分が自分に厳しくしていては全くもって意味がない。

自分が挑戦したことに
自分自身が一番認めてあげて、

自分が残せなかった結果も
結果だけをみるのではなく
残そうとしたという事実を見てあげるのだ。

みんな生きていれば良いことばかりではないし
ひどく落ち込む失敗や受け入れたくない事実もあると思う。

だけど、確実にその出来事には意味があって
生きていくためのヒントが隠されている。

それが具体的に何なのかは自分自身にしかわからないんだけども、それこそが本当に大切なことだと思う。

暇だなーって思いながら過ごした日

もうこれが最後かもしれないと思って過ごした日

何が何だかわからない程の怒涛な時間を過ごした日

どれを切り取っても無駄な一日なんてひとつもない。

その出来事に直面したものだけが感じれる何かがそこにあってそれを生かせるのは自分だけしかいないからだ。

まわりになんと思われようと、自分の身体は自分自身でしっかり守ってあげてね♡




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