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お金で買えるもの

先月、引っ越しをした。
3週間ほどたち、ようやく家の中が落ち着いてきたところだ。

引っ越した当初、家の中にはなにもなかった。
単身者用引っ越しパックで運ばれた、3人分の荷物。

3組の布団と、ちょっとした身の回りのもの。
そして、あとを追うように、ホームセンターで購入した洗濯機・テレビ・掃除機などが到着し、続けざまに照明やらカーテンやらがやってきた。

引っ越しをした当日。
まだ陽気が暖かかったので、湯船はわかさず、シャワーを浴びて、ある団体から譲り受けたお布団で寝た。

翌朝。
朝食を食べるのに、テーブルは無い。
椅子が1脚も無いので、フローリングに座布団を置いて、段ボールをテーブル代わりにご飯を食べた。
リビングを除いて、3部屋あるうちの1部屋は、段ボールで埋め尽くされていた。
この家は、足りないものだらけだった。

冷蔵庫が無い。
ダイニングテーブルが無い。
座れる場所は、床か座布団の2択。
それでも、私たちはこの地へ来た。

この場所に引っ越すことは、はっきり言って消去法で決めたようなものだ。
限られた選択肢の中で、時間も無い中、選んだピースにすぎない。
望んだ結果ではない。

3人。
でも、私にはこの3人でいられることが全てだ。
足りないものがなんだ、場所がどうした、そんなことはどうにでもなる。

子どもたちは、私の作る料理が好きだ。
空箱のテーブルに並んだ料理でも、それが手作りなら「ごちそう」となる。
足りないものだらけの空間を埋めるのは「おいしいね」「あったかいね」と、交わす言葉。
布団を3枚並べて、その上でごろごろじゃれあったり、ふざけて一緒に寝転がったり。
そんな時間を過ごせるだけで、私の心は十分満たされているのだ。
どんなに足りないモノがあっても、そこに「笑顔」があればいい。

子どもたちと落ち着いて暮らせる。
それ以上のことは、何も望んじゃいない。
つまり、そういう決断の下の「今」だった。

あれから、3週間。
今日、真新しいソファが我が家にやってきた。
テレビの正面に据えて、座り心地を確認してみる。
背もたれが低いので、大人にはやや物足りない印象だが、子どもが腰かける分には「十分だよ」という感想をいただいたので、問題ない。

空っぽだったキッチンには、ダイニングテーブルとキッチンボードが。
床に直置きしていたテレビは、テレビボードの上に収まった。

私が仕事をするため、PC周りも整えた。
ちょっとやりすぎた感はあるが、L字型デスクに、デュアルディスプレイ。
メイン機が中古の12インチで、折りたたみイスという点はいまいちだが、まあまあ気に入っている。

私のPCデスクと並ぶ格好で、子どもたちが勉強するためのデスクも用意した。
ソファと合わせて「イス」と呼べるものが10人前はある。
引っ越してきたあの日、段ボールに囲まれて、空箱をテーブルにご飯を食べていた光景は、もう無い。

私が生涯、個人で買い物した中で最も高かった買い物は、運転免許を取るために払った授業料だと思う。
一括で、27万円くらいだった。

それをはるかに上回る金額を、この3週間で費やした。
結果、ようやく、普通の生活が送れるくらいには、家の中が整った。

今、家の中を見渡せば、子どもたちのくつろぐ様子が目に入る。
お金で買えるものは、おおむね取り戻すことができた。

今日、行政の職員の方が訪問にやってきた。
開口一番「片付いていますね」と、驚かれた。
私は落ち着いて「荷物が少なかったので」と、返した。

そう。
3週間前は、何も無かった我が家。
今は、それなりの家財道具で溢れている。
お金と引き換えに、お金で買えるものは手に入れた。

失ったモノは多い。
今はマヒしているけれど、きっと受けた痛みも相当なものだ。
でも、私たちは笑っていられる。
だから大丈夫だ。

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