終わらない葛藤
心はいつだって震えている。
フリーランスのライター、という仕事はなかなかに孤独だ。
私が手掛けているYouTube漫画動画のシナリオ制作の仕事は、正解がない。
セオリーはある。
人気のキーワードもある。
ただ、ストーリーをどう形づくって、キャラクターをどう動かしていくか、これは作者の手に委ねられる。
生み出すは、リアルな日常世界。
限られた箱庭の空間で、キャラクターをどう動かすか。
常に最善を尽くすよう、考える。
考える。
考える。
けど、答えがいつまでもわからないときがある。
筆が止まる。
思考がぐるぐるいったりきたりする。
わからなくなる。
まるで、自分自身が人生の岐路に差し掛かったかのように、足が止まる。
どっちに進めば良いのだろう。
どこを目指せば良いのだろう。
怖い。
選択一つで、天国なのか地獄なのか、その運命が決まってしまうようで、とんでもなく怖い。
「どうしよう、どうしよう、書き上げるのが怖い」
そんな気持ちが、いつまでもつきまとう。
ライターとしての私は、ひどく臆病で、神経質で、石橋を叩いても渡れないくらいのビビリだ。
作品を生み出すということは、すごくパワーが必要だと思う。
ゼロから世界観を作り上げ、一つの枠の中に収めるというのは、思いのほか骨の折れる作業だということがわかる。
完成品は、あたかもそこにはじめからその形で誕生したかのように、なんの違和感もなく存在したとしても、完成させるまでの苦悩や葛藤は計り知れない。
最近、その生みの苦しみに押しつぶされそうになる。
悩んで、悩んで、苦しみぬいた末に完成させた作品だって、クライアントの目に留まらなければ世に送り出されることはない。
「お蔵入り」というのも、漫画動画の世界では珍しくないからだ。
シナリオの後に、イラスト、声入れ、動画編集という各工程が控えており、それらはそれぞれ貴重な時間と予算をかけて制作されていく。
だから、不出来な作品は日の目を見ずに消えていく運命なのだ。
そう、消えていく。
苦しみぬいて生み出した作品も、幾度となく日の目を見ずに消えていった。
数ヶ月後、その事実に気づいて「あぁ、あの作品はボツになったんだな」と考えて落ち込んだり。
「何がダメだったんだろう」と、思いを反芻したり。
だから、気がつくと筆が止まってしまう。
いつまで経っても、自分の作品に納得できない。
目に見えた結果がついてきてはじめて、「この作品は評価されたんだ」と思える。
ただ、評価されなかった作品のことを思うと、また筆を取るのが怖くなる。
YouTubeの世界は、再生数が目に見えてしまう。
再生数で出来不出来がある程度語られてしまう。
それだけが絶対ではないのだけど、その側面は大きい。
その数字に振り回されて、疲れてしまうことがある。
目の前の作品に集中していれば良いものが、できない。
それは私の弱さだ。
いつだって、私は私に満足できた試しがない。
表向きは「なんてことない、大丈夫」と平静を装って。
凛とした私を演出しているけれど、実際はそんなことない。
心はいつだって震えている。
シナリオの仕事を始めたばかりのころは、そこまで深く物事を考えてもいなかった。
自分が描きたい世界を、思い通りにただただ綴っていれば作品になった。
今は、それができない。
「納得のいくものしか世に送り出したくない」
それはこだわりでもあり、エゴでもある。
とにかく、私の中の私がいつだって厳しく見張っているのだ。
「そんなんじゃ認めてもらえないよ」
「もっと頑張れよ」
「詰めが甘いよ、しっかり見直せよ」
そう、責め立てる。
ひとたび迷うと、なかなか迷いから抜け出せなくなる。
どちらが正解なのか、わからなくなる。
年々、書くのが大変になっていく感覚さえある。
ただ、その積み重ねがあるからこそ、成長できるのかもしれない。
過去の自分に満足しない・させない。
そう思うから、私はこの仕事を続けていけるし、いつまでも新鮮な気持ちを保ち続けていられるのかもしれない。
正解はまだわからない。
一つだけはっきりしているのは、わたしはまだまだ自分自身に満足したことがないということ。
漫画動画の世界に、どれだけ作品を送り出そうとも、どれだけ深くかかわろうとも、終わらない旅。
毎日新しい発見がある。
常に人生を探す旅。
物語の登場人物になりきって、今日も私は生きていく。
終わらない葛藤は、自分との戦い。
まだまだ私は旅半ばだ。
もし、あなたの心に少しでも安らぎや幸福感が戻ってきたのなら、幸いです。 私はいつでもにここいます。