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子育てと、癒し•天使の育て方Vol.12


幼児期の始まり


 まだまだ、これからが、子育ての始まり、なのですが、此処で一呼吸・・・。


 産まれたでの新生児から、ここまで育って来た、天使さん達を、よく見てみると、女の子は、こましゃくれて、よくお喋りをする子に、男の子は、活発に外でお友達と遊んだり、乗り物に乗ったりと、元気いっぱいに育っていたり、その逆だったりしていることでしょう。


でも、大丈夫、どのように育っても、全てが、その子の個性です。


 ある、小学校での出来事です。
多くの子ども達は、外でお友達と遊んでいたのですが、一人で、ぽつんと、様子を眺めている、男の子がいたのです。
 

 其の、小学校の先生が、何十年も経ってから、ある対談の中で、その後のその子のことを話している記事がありました。
 その子は、大きくなって、著名な作家になったそうです。
 


 その、ぽつんと、一人で他の子供達を観察していた子とは、作家のオーソン・ウェールズ、その人でした。
 

 私は、この頃、母の看病もあり、子育てとの両立が大変でしたが、ワンオペの上、私が、母の看病をすることを、最後まで、快く理解してもらえない事情がありましたので、精神的には、いつも追い込まれていました。


 其れでも、天使さん達は、逞しく育ち、お利口さんでしたから、あまり手こずりませんでしたが、冷たい雨の中を二人の子の手を引いて、病院に通ったり、溜まった家事のことや、看病をする事にも、散々お説教されたり、心がめげたりしました。


 我が子の子育ての大切な時期に、何もできずに、他のお母さんの様に、お習い事やお勉強をさせてあげられなかったのです。


 ただ一つだけ、絵本を読んであげることだけは、天使さんが、私が、寝てしまうまで、毎日欠かしたことはありませんでした。


 そして、信じていました。
三歳までに、生活の中で、大切な働きかけを、十分にしていたことで、きっと、この子達は、大丈夫だと言うことを・・・。


 母が亡くなるまでの二年くらいの期間でしたが、私には、恐ろしく長く苦しい時間に感じました。


 其れでも、死期が近づいて来た母が座っていた、リクライニングの椅子の足元では、天使さん二人が楽しそうに遊んでいたので、母は、幸せそうで、少しは、痛みと気が紛れた事と思います。


 何時も、笑顔と生命力一杯の天使さん達に、見守られ、母は、旅立って行きました。


 今思えば、私自身も、幼い頃から、母が病弱でしたから、此の母を助けてあげたいという事で、他の人からは、なんと言われようと、天使さん達二人と、母を見送ってあげようと決心していたのでした。


 上の子は、五歳から武道、下の子は、三歳からバレエそして、一年後に、ピアノとバイオリンを習わせましたが、3、4年後には、子供の意思を優先しました。


 他の子供達は、複数のお習い事で、それなりの成果を出していましたが、子供の才能は、お習い事の中に其の切掛がある場合もありますが、其のきっかけがどこにあるかは、未知数なので、静観してみる事も必要です。


 結局、上の子は、中学受験の準備のため、学習塾に、下の子は、絵画教室に行くこととなり、それぞれの、最終的な進路どうりの選択となりました。


 その間、私は、小中学生の英語教室に加え、幼児教室と母親教室と大人向けの講座を開講していましたし、会社の庶務や税務もしていましたので、何時も、子供には、かかりっきりというわけではなかったのです。


 それでも、なんとか、育ってくれたのは、此の三歳までの家庭での取り組みと、信仰や祈りにも共通する、強さと愛と信念で、親がいなくとも子供が自立し、生きていけるようにという母親の願いと、子供への信頼に他なりません。


 どうぞ、お母さん、お父さん方は、自信を持って、天使さん達を育ててあげてください。


 今後は、此の記事では、これから、未来へ向けての子育てについての、幾つかの提案をしていきたいと思います。


 なぜなら、天使さん達が大きくなって活躍する未来では、現在に照準を合わせていては、時代の進化に間に合わないからです。
 


 実際、80年代から90年代にかけて開室していた教室では、結果的には、現在に照準を合わせてきていました。


 未知のゾーンですから、どのような展開になるかは、お楽しみにという他ありませんが・・・。


 これから未来へ向かっての、新しい子育てに、軽やかな風に乗って、楽しく、天使さん達を、育んでゆきましょう。


 もう、辛い子育てとは、お・さ・ら・ば、です・・・。


本日も、最後まで、お読み下さいまして、感謝いたします。
                                 Mio

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