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022.人生を変えてくれた、たったひとつのアファメーション、的なやつ

一時期、とても熱心にアファメーションを実践していた。

今も多分にそういうふしがあるが、とにかくわたしは謙遜したり謙虚っぽくふるまいつつも野心家で、どこかでいつもなにかがメラメラと燃えていて、ククククククソー。いつか見てろよ。このままでなるものか。と鼻息荒く生きていた。

その当時のわたしにとっての最重要事項は「願望実現」であって「現世利益」であって、つまりは自分のことなんてちっともわかっていなくって、ひたすら夢のようなおもちゃを手に入れたがって駄々をこねてばかりのくそガキだったのだ。今は多少なりとも大人になって、「なにを手に入れたいのか」、よりは、それを手に入れようとしている「”あなた=わたし”はだれなのか?」という問いが立てられている(ような気がする)。

そのとき、熱心に取り組んでいたアファメーションの方法はいろんなものがあった。口に出すやつ、何度も大声でいうやつ、ぶつぶつ繰り返すやつ、口には出さないけれど書くやつ、何度も書くやつ、息を止めて書くやつ、100日続けるやつ、年に一度しか書かずに忘れるやつ、といろんな手法があった。

そしてそこに書かれる内容は、そのときに叶えたかった夢や願望だ。現在形で書く、というものが多かったと思う。「わたしは海の見えるテラス付きの家に住んでいます」とか(住んでいない)、「わたしは月収100万を余裕で稼いでいます」とか(瞬間風速的に稼いでいた時期があった)、「わたしをとても愛してくれるパートナーがいます」とか(いるんだなこれが)、そんなんだ。

他にも、「スキルを活かせるやりがいのある仕事についています」っていうのもあったし、「エキサイティングで自由な毎日を過ごしています」っていうのもあったし、さすがに古今東西のアファメーションの本などに選ばれるだけあって、どれもこれもすてきなフレーズばかりだった。

けれどある日、そのどのフレーズも吹き飛ばすような、強烈なアファメーションに出会ってしまい、それが忘れられずに、それがいつの間にか人生の指針となったのだ。それを、ここに書いてみる。


人生に起こることは、すべてただの経験です。
わたしはそれを、客観的に観察します。


これである。

どうだろうか、これ。今、あらためて書いてみて思うに「これ、アファメーションか?」って感じである(笑)。でも、ちゃんと有名なアファメーションの本に載っていたものなのだ。

わたしは、その前後のフレーズもぶつぶつ呟いていたのだけれど、ふと「あれ、これだけでいいんじゃない?なんか、わたしの人生、このアファメーションだけでいける気がする」と思えてきたのである。

たとえば、なにかを叶えたいと思う。強く願う。そのために動いたり、動けなかったり、叶いかけて歓喜したり、でも強く願いすぎて辛かったり、ちっとも叶わなくて絶望したりする。そのたびにわたしは右往左往し、途方に暮れ、ガックリと肩を落とす。

「今日もダメだった。明日もきっとダメだろう。そして10年後も、いつまでもなにも、できないんだ」と。

そう、それまで拠りどころにしていたアファメーションは、いつも”結果”を求めていたのだ。ゴールだけを宣言していて、そのゴールに行き着くための人生だった。

なのだけれど、

人生に起こることは、すべてただの経験です。

って、なんだろう。

瞬間瞬間のプロセスのすべてが人生だ、と言っている。しかも、”ただの”って言っちゃってる。”ただの”だよ? あ、彼? ぜんぜんそんなんじゃないよー、”ただの”友達〜、アハハハハ。って、若干「俺って結局”ただの”友達止まりの男なわけ? ”ただの”いい人扱い?」って拍子抜けしちゃうシーンで使われる、あの”ただの”である(耳が痛い男子よ、ごめんなさい。わたしはいい人止まりの男性なんて存在しないと思っている派です)。

え、この、狂おしい成功への渇望も、うまく行ってもまだまだと自己否定しちゃう痛みも、あきらめかけたり、やっぱりまた奮起したりする、こんな迷走っぷりのすべてが、”ただの”、”経験”ってことで、オーケーなんすか?

じゃあなんだ、わたしはこの先、設定したゴールをひとつもなし得なかったとしてもだよ?

経験を、していたんだ...!!!


わたしは、どの瞬間もずっとずっと、自分の人生を経験していたのか。そしてそれを、ぱっちりと目を見開いて、いつでも観ていることが、自分を生きるってこと..? 成功とか、達成とか、そういうことではなく...??


それがわかった瞬間に、なんだかすべての謎が解けたみたいな、目の前のモヤモヤとした霧がさあっと晴れたみたいな、文字どおり晴れやかな気分になったのを覚えている。

以来、わたしは軽やかになった。「人生、余裕〜」みたいな瞬間が増えた。実際に、超!余裕だ。だってわたしはいつも、なにが起こったって「お、これは良いとか悪いとかじゃなくて、”ただの”経験だもんな。」と思って、観察しているから。

頭の中で、”さめじまみお”という登場人物がいて、わりと一生懸命生きているし、ゲラゲラ笑ったり、うじうじ悩んだり、たまに心折れそうなほど落ち込んだり、ぜんそくの発作で眠れない夜を過ごしたり、しているのを、「そのとき、さめじまは、思った...」というナレーション(声は森本レオ)とともに眺めているような感じ、と言ったら伝わるだろうか。

そんなわけで、わたしは生来のめんどうくさがりということもあって、日々一生懸命「海が見えるテラス付きの...」とかぶつぶついうことはすっかりやめてしまい、代わりに、「わーい、人生に起こることはすべて!ただの!経験だーい。ヒャッホー」と開き直って、日々ゆかいに生きているというわけ。

ね。あなたも、レッツ・アファメーション。

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