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人生はいつもいつでも揺れている。揺れながら偏りながら、最適解を探している


土曜の夜のアジアカップでのサッカー日本代表 vs イラン戦の敗戦で、自分でも意外なほど落ち込んでいた。今日は月曜日だから多少は持ち直しているものの、日曜日なんて気づけばため息といった具合で、ハチ(旦那さん)にも呆れられるほどだった。

なんでこんなにがっかりしているんだろうな?
負けちゃったから?優勝してほしかった?準決勝も決勝もまだまだ彼らの勇姿を見たかったから?

とかいろいろ考えていたのだけれども、あの、観ていたひとはわかるであろう「後半戦のやるせなさ」というものが、心にダメージを負わせていたんだと思う。
勢いづいたイラン勢の猛攻に、なすすべもなくただ防戦一方となり、懸命に戦いながらも勝機を見出すことができなかった、まさに「孤軍奮闘」ともいえる彼らの姿が、まるで親に見捨てられた孤児たちのように見えて、なんだか悲しかったのだ。

わたしはカタールW杯の前年から、気合いを入れて代表戦を見始めたというにわかファンなので、くわしいことはぜんぜん知らない。知らないけれど、ピッチの中で戦っている彼らだけではどうにもならない部分というものがあって、そこでピッチ外からの打開策やサポートというのがおそらく、なかったのだろうな、ということだけは界隈にいるのでなんとなく伝わってきて、それがつらかったのだと思う。

今の代表メンバーのみんながほんとうに好きで、勝っても負けても心から応援しているので、余計にしんどくなってしまった。
その失望感とか喪失感とかそれすらも、「誰かを応援するということは、こういうロス感も含めてのそれなんだな」と思えたことそのものは、よかったと思ってるけど。




今日は雪!雪!雪!でしたね。
東京に住んでいるとなかなか見ることのできない一面雪景色、というものを久しぶりに目にして、独特の心模様になった。
自分の心の中の、いちばん奥のほうにある、いちばん静かな場所。そこと、雪景色というものは、呼応するのだろうな、と思った。

2月ってさむいですねえ。こんなにさむかった?2月って。びっくりだ。これで活動的に過ごすとか、むりむり。冬眠させてほしいくらいよ。

といいつつ、立春を過ぎたせいか、内側はふつふつと活動が始まっている模様で、それは毎朝のモーニングページを書いていることでもわかる。実に不可解なことかもしれませんが、わたしは毎朝自分に対して「これから、なにして生きていこうか?」「今日をどんなふうに生きようか?」と問いかけている。

はたから見たら、大人だし、ビジネスっぽいことをしているし、生き方が定まっているかのように見えるのかもしれないけれども、わたしはいつもいつでも揺れている。揺れ続けて、偏りながら、微細にバランスをとり続けている。
いつも自分の人生の、そのときどきでの最適解を探している。

なにをして生きようか。
誰と過ごそうか。
なにをクリエイトしていこうか。

そんな抽象的なところから、

なにを食べようか。
なにを着ようか。
どこに行こうか。
どのタスクに取り組もうか。

そんな具体的なところまで。さらには、

この身体をどんなふうに表現していこうか。
この身体の、フォルムをどうしていきたいか。
この身体の、内なるセクシャリティーをどう表現していきたいか。
セックスというものが他者とのコラボレーションだとしたら、
わたしはこの先、だれと、どんなセックスがしたいだろうか。

とか、書くのがちょいタブーかも?な、セクシャリティーの領域まで。

問いかけは頭で、思考の主導で行いつつも、答えはもっと深いところから現れるので、それを待っている。今日わからなくても、問いかけたのならそれはわたしの人生の射程範囲に必ず入ってくる。


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