見出し画像

新しい仕事を見てみる

転職サイトをたくさん見ている。

転職してからも、折に触れ、転職サイトを見ている。最近は、更にとてもよく見ている。

やはり、この嫌な状況を脱するには環境を変えるのがベストなのでは?と思うからだ。

これは転職を考える人の多くが直面する壁なのだと思う。このままこのパワハラが横行する厄介な塀の中で暮らすか、思い切ってこの塀を飛び越えて外の世界に出るか。

塀の外は活気にあふれ、頭のおかしな人は居ないだろう。もっともっと過ごしやすい、笑顔で仕事に励む事のできる、特別な世界があるのでは無いだろうか、と考えるのだ。

しかし、こちとらアラフィフ。そんなに脳内お花畑、天真爛漫ピュアな人間というわけでもない。

そうは問屋が卸さない。ということも、残念ながら知ってしまっているのだ。

転職をして来た私が知っている現実。

転職をして、今現在の職場に来た私は知っている現実がある。この世は大体が同じ構造であり、とびっきりの楽園なんて無いのだ、と。

その葛藤と共に生きる覚悟をしつつ、転職サイトを見ては、給与や賞与、家から近いか遠いか、年齢的にどうか、など、今の職場より良い条件の職場がないかを探している。

普通に生きて、普通に仕事ができれば良いのだが、なかなかそうはさせてもらえない。いったい何故なんだろう?と考えてみても、自分では答えが出ない。

「こちら側の問題では無い」

別の会社で管理職をしている夫に聞いても、毎度こう回答する。「こちら側の問題では無いな」と。

これまでも、対人関係は割と得意で、どんなタイプの人とでも仲良くなれる、仲良くならずとも普通に仕事ができる環境を作ってきた。

意地悪な人も、口の悪い人も、裏表があり過ぎる人だっていた。でも、根気よく丁寧に接していけば、ほぼ攻略できたのだ。

そんな私が、今回は恐ろしく苦戦していたわけだが、やれることは全てやったし、やはりもう対処のしようが無いのかもな、と言う諦めの気持ちも出ていた。

能力のない上司の部下は不幸になる。

「能力のない上司の部下は不幸になる」と、夫は言う。

仕事ができるかどうかとは別の「部下を育てられるかどうか、出世させられるかどうか、役職者まで育て上げれるかどうか」という、人として上司に値する人間なのかどうかも大切なのだ、と。

もしかしたら、いつか自分を追い抜いて行くかもしれない部下を、しっかりと育て上げるのはきっと本当に大変な事なのだろう。

追う側、追われる側、なら、追われる側のプレッシャーの方が強くなるわけで、しかしそれを怖がって追い払ったり、蹴落としたりしていては元も子もない。

さて、私は5年後10年後、追われても追い払わない、蹴落とさない側に行けるだろうか。

追われたら、お先にどうぞと道を譲るくらいの余裕がある人間になりたいが、それはそれでダメなのかもな、笑。

私はいついかなる時も、心に「余裕」を持っておきたい。余裕がない時ほど、人は怖がり、攻撃的になると思うから。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?