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眠れない夜に考えること

思ってたより自分のこと知らないよね、自分で。
あぁ、そういうとこあるのね、わたしって、って思うし。
自分だと思ってた像なんて案外、生きてきた歴史の中で都合よく育ててきた空想なのかもしれない。

自分を知るとか、自分をコントロールするとか、自分を受け入れるとか、抱きしめてあげるとか…
自分自身の取り扱いが、本当にいちばん難しいわけで。

わたしという生き物について、自分にしか責任がないのだからって思えば当然のことではあるけど。
誰かの評価や、ある人の言葉は、他者からの意見でしかない。
その人の考えであり、思いつきかもしれないし、お世辞かもしれない。
でも、知らず知らずのうちに、それらが「わたし」になってる。たぶん。
これは、誰が良いとか悪いとかじゃなくて、気づいたらそうなってた、ってはなし。

不意に、あぁ、これ、ハリボテの「わたし」か?って気づくことがある。

「いつも笑顔で明るいね」
「真面目で頑張り屋さんだね」
「聞き上手だよね」

とってもありがたくて嬉しい言葉たち。

でもそれを、それらの言葉を、「わたし」の色なんだって思って、この形こそが「わたし」なんだって鵜呑みにして、取り込んでいく。
その言葉を食べてお腹の中に入れ、「わたしっていつも笑顔で明るいんだ」ってインプット&演出というアウトプットをしているのではないか。

本当はそうじゃない「わたし」もいるのに。

そうあることが、「わたし」であることの定義みたいに。
その通りの「わたし」を生きることが、正しいかのように。


他者の目にそんな「わたし」が映っているのであるのなら、いやむしろ、そんな「わたし」しか映っていないのであれば、そうじゃないところを大切に抱きしめてあげられるのはもはや、自分しかいない。

意地悪で、卑怯で、都合のよい自分勝手な「わたし」。

嫌いだけど、存在してる。
絶対に消えない。

ときどき、そんなわたしがいることに、妙な安堵を覚えたりもして。

なんでか分からない。
考えてみてるけど。

深夜の脳みそは、もうちょっと深いとこまで…って思ったところで、ぽーーっと離脱を図ってくる。

明日も早出やで。

もう今日か。

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