大切なもの

息抜きに思うことを少し。

SNSなんかをしていると、超若手(特に高校生あたり)がどんどんといいねやRTを伸ばし、プロ以上に顔が広かったりする。同じ作り手として、なんでこんな音楽が流行るのか、これのどこがいいのか、みたいな悔しい思いは誰もが経験していると思う。しかし、万人受けする音楽というのは少なからず共感を得やすい作りであったり、その世代に受けやすい音使いや編成であったり、何かしらの理由がある。専門家や批評家がどうしてこんなに流行っているのか?という考察をした動画や記事をよく見かけるが、それに需要があるほどだ。

承認欲求の高い人間だから創作をしている、というツイートを見かけた。創作という承認欲求の位置付けはマズローのヒエラルキーによれば一番上にあるようだ。生理的欲求から始まり、安全の欲求、社会的欲求、承認欲求、そして自分にしかできないことを成し遂げたい、自分らしく生きたいという自己実現欲求。よく考えれば、その位置にいられること自体が既に恵まれた環境であることを念頭に置くべきで、当たり前ではない。お金がなければなし得ないことでもあるし、生活が十分で安定しているからこそ実現可能なことであるからだ。音楽史にある貴族が嗜む音楽というのは、そのヒエラルキーが成り立っていたからだということがよくわかる。

創作をしたい一心で始めた人が、段々と評価されたい、注目を浴びたいといった承認欲求に駆られるのは人間として何ら自然なことで押さえつけるものではない。私はあまり表面的に出すタイプではないが、内心沸々と秘めている鉛のようなどす黒い感情は持っている。たまに水を足しながら緩めて、配管に詰まらない程度になったら捨てて…というのを繰り返している。緩め方は人それぞれだと思うが、私の場合は自然に身を委ねることと、普段聴かない音楽を聴くこと。そもそも明日も生きているなんて保証もないので、あまり細かいことは気にせず、たまに自分を甘やかしている。

現在は音楽史の時代ほど音楽は敷居の高いものではなくなったし、学生のバイト代で賄えるほど手軽なものになった。だからなのか、大事なことが忘れられているような気もする。私は音楽などの芸術品は消耗品であってはならないと思っている。時計や財布のように、長年使い続け、壊れた時には修理してまた身に付けるような、そういったものであって欲しい。以前の記事に、音楽そのものには価値がないと書いたが、それを価値あるものに昇華させることが作り手にとっての使命なのかもしれないな、とも思う。

深く考えながら音楽に取り組んでいるわけではないが、自身にとって何が大切なのかは失わないようにしていきたい所存。9月は依頼だけでなくコラボや自身の曲も制作していけそうなので、またタイムラインで見かけたら声かけてくださると嬉しいです。


tohma


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