匂いの記憶

ホットケーキミックスが残っていて、使おうかと思ったもののホットケーキを焼く気分でもないなという時、ふと、蒸しパンをつくろうかという気になった。

ミックスに牛乳や水を加えて電子レンジで加熱するだけの素朴な蒸しパンは、子どもの頃、時折朝食に出てきたものだ。思い出したら食べたくなり、ちょうど牛乳も買ってある時だったので作ることにした。

耐熱ボウルにホットケーキミックスと牛乳を放り込んで混ぜる。
立ち上ってくる甘い匂いに手を引かれるようにして、十何年前か二十年前かの、日曜日の朝のリビングのドアを開けていた。

きょう、何も買ってなかったから蒸しパンでいい?と母がたずねる。手に持っている、ホテルのレストラン監修のちょっといいホットケーキミックスの箱を見て、私はむしろそれがいいと言う。ミックスについているメープルシロップを、蒸しパンにかけて食べるのは、至上のよろこびのひとつだった。台所を覗くと、ミックスの甘い匂いが漂ってくる。私は満足してリビングのソファに戻る。
「メープルかけるでしょ?」と言いながら、母はミトンをはめた両手で丼を包んで運んでくる。こういう蒸しパンはマグカップとか、小さい器で作るのがふつうなのかもしれないが、母の場合は耐熱ボウルだとか丼だとかで大きく作るのが定番だった。
できたては熱くて手で触れないのでフォークで切り分けて、メープルシロップをかける。甘くこうばしい香りと一緒に蒸しパンをほおばる。
朝から庭仕事をしていた父が戻ってきて、向かいに座り新聞を読んでいる。今日は天気がいい。軒先の洗濯物もあたたかそうに見える。窓を開けたら緑の匂いがしそうだ。母は緑茶を淹れている。熱いからちょっとお水で薄めて飲みなさい、と言われ、私は子ども扱いされるのを不服に思いながら、それでも火傷するのは嫌なのでとりあえず飲まずに冷ましておく。蒸しパンは食べ終えてしまったので、新聞の日曜版ちょうだい、と父に声をかける。日曜版の漫画を読んでしまうと、私はもう一度窓の外を見る。どこかの家の猫が庭先を通っていく。ねこ!と叫んだら、それが聞こえて驚いたのかどうか、猫は一目散に走り去っていった。

匂いというのは、ほかの感覚よりも、記憶を呼び起こす力が強いのかもしれないな、と、私は電子レンジの扉を開けながら思う。耐熱ボウルの中の蒸しパンはほっこりと白く膨らんで、指先で押してみるとほどよい弾力がある。昔食べた蒸しパンも、ちょっと固めだったような気がする。メープルシロップはなかったので、フォークで切り分けてからはちみつをかけて食べた。匂いは間違いないが、あの蒸しパンもこういう食感だったかどうかは確信が持てなかった。

そういえば、母はあまり料理が得意ではないし、父も普段から料理をする人ではないので、私にはいわゆる「母の味」とか、「わが家の味」「実家の味」と言われて思いつくようなものがないと思っていた。けれども、その食べ物の匂いをかいだり、それを食べたりしたとき、すぐさま浮かんでくる情景があって、それが家族の記憶なのであれば、実家の味と呼んでもいいのかもしれない、というようなことを思った。正確には味というよりも匂いと結びついた記憶なのだが。

少なくとも、ホットケーキミックスの匂いは私の中で、絵に描いたように平凡で退屈で、ささやかで幸福な、日曜日の朝のリビングに通じているらしい。

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