【小説】3 セーフティ・ピアノ

 あんたって子はほんとうに、長続きしないねえ。
 夫と別れることにしたと告げたら、電話口から風圧を感じるぐらいの母の溜息が聞こえてきた。
 ほんとにどうしてあんたはそうなんだろうねえ、と、母は私がかつて少し齧ってはすぐにやめてしまった数々の習い事や、昔は仲のよかった友人たちの名前、学生時代に付き合っていた男の子の名前、などなどを並べたてる。よくもまあそんなに覚えているもんだ。たぶん母のほうが私よりも私の経歴には詳しいだろう。
 それをすっかり並べ切ってしまった後は、夫とちゃんと話し合ったのかとか、ややこしいことになってないかとか、子どもはどうするの、あんた働くつもりなの、云々、質問の嵐。今朝から続いている雨よりもよほどたちが悪い。いや、長く続くのよりも短時間で過ぎ去ってしまうほうが気が楽だろうか。
 ひとまず、大丈夫だから、お互い冷静に話し合って、もう全部決めてあるから、と、どうにかいなす。
 長続きしないねえ、だって。
 六年とちょっと。
 私には、十分すぎるぐらい長かったわ、と言ってやりたい。

 昔から何をしても続かない、飽きっぽい子だと言われてきた。というか、言われてきただけでなくて、自分でもそう思っている。
 いちばん最初の記憶では、せがんで買ってもらった大きなドールハウス。何度かは遊んだはずだけど、すぐに見向きもしなくなってしまった。それから、友達が通っているからと言って通い始めた算盤教室も、すぐにすごい速さでパチパチできるようになるものかと思ったら全然そんなことはなくて、嫌になってやめた。ピアノは――これは一応、ちょっとは頑張ろうと思って、私にしては続いたほうだと思う。親が知り合いから安く譲ってもらったアップライトピアノ。あの黒々とそびえる大きな楽器を前に、重厚な椅子に座ると、それだけで自分が少し立派になったような気分がして、なんとなく自信が持てた。――とはいえ、本当にそこに座るだけで立派な演奏家になれるわけもなくて、これも一、二年は我慢したもののやめてしまったのだけど。
 何事につけても、もう少し続けてみたら、もうちょっとだけ基本が身につくまで我慢してみたら、楽しくなっていくものなのかもしれない。でも私にはその、まだ先が全然見えていない中での「もうちょっとの我慢」ほど辛いものはなかったのだ。
 思い返せば、確かに、人付き合いにしてもそうだったなという気がする。小さい頃から、小中高、それから短大、就職先、どこで出会った人とも、そこから離れてしまったらもうほとんど連絡を取ることはなかった。例外は片手で数えられるぐらい。

 お嬢さんのことで、ちょっと気になって、と幼稚園の先生に話しかけられたのは、娘が入園して半年ほど経った頃だっただろうか。
「全然、喋らないみたいなんです。お友だちとも、私たちとも」
 そんなはずはない、と思った。だって家ではあんなに元気に喋ってるのに。本を読むのが好きで、たまにびっくりするぐらい難しい言葉も知っていたりするのに。
「初めは、人見知りなのかなと思ってたんですけど、なんというか、そんな程度のことじゃないのかもしれないと思いまして……あの、おうちではどんな様子なんですか」
 先生はちょっと心配して大袈裟に言ってくれているだけだ、と私は自分を落ち着かせるために言い聞かせた。娘は確かに、私や夫以外には引っ込み思案なところもあるし、それでもしかしたら周りの子とうまくいかないこともあったのかもしれない。
「……家では全く、そんな、喋らないなんてことはなくて、この本が好きとか、こういう遊びをしたとか、私にも毎日たくさん話してくれています。だから、たとえば言葉が遅れてるとか、そういうことはありません」
 最後の一言は余計だったな、と心のうちで舌打ちをした。先生は何もそこまで言ってなかったのに、これじゃ私が気にしてるみたいだ。
「そうなんですねえ……まあ、環境に慣れるのに時間のかかる子なのかもしれませんね」
 先生はそう答えただけだったけど、その目にどこか、軽蔑のような憐みのような、なんとも言えない色が差している気がした。それも私の考えすぎだったかもしれないけど。
 娘に何か問題があるとは考えられなかった。どちらかといえばおとなしい子ではあるけど、普通に、おそらくはほかの子どもたちと同じように喋るし、むしろ物覚えのいい賢い子だと思っていた。
 内弁慶、というほど家の中で好き勝手しているわけでもないけど、子どもならそれぐらいのことはあるんじゃないか、わざわざ私にこそこそ話すほどのことなんだろうか。私は苛立ちを募らせた。
 その日、娘と一緒に幼稚園からの帰り道を歩きながら、私は、ねえ、と尋ねた。
「幼稚園、楽しい?」
 彼女は、まっすぐこちらを見上げて、うん、とうなずいた。
 ほらね、と私は思った。何も問題ない。この子はちゃんと、うまくやれてる、大丈夫なんだから、と。
 それから数週間たって、娘さんが怪我をしたのでと幼稚園から連絡が入った。
 慌てて駆け付けたら、彼女は職員室の椅子に座って、頭に氷嚢をあてがわれてキョトンとしていた。
「男の子とけんかして、ぶたれてしまったみたいで……」
 先生は少し申し訳なさそうな声を作って言う。
「けんかって……なんでそんな。何があったんですか?」
 先生は眉をひそめて娘を見る。娘の顔には、いつも私に見せてくれる表情のひとつも、認めることができなくて、私は戸惑った。
「聞いても話してくれないんです。もう一人のその……ぶってしまった子に聞いたら、こいつ、なに言ってもなんにも答えないからきらい、って」
 怪我をしたというのはその一度きりだったけど、似たようなことでクラスの子を怒らせたというのがそれから何度かあった。私は娘に、幼稚園、行かなくてもいいよと言った。

 幼稚園を休ませていることは、初めは夫に黙っていたのだけど、娘から喋ってしまったらしい。
「幼稚園行かせてないの? なんで?」
 無邪気なまでにストレートに聞いてくるので、ちょっと頭が痛くなる。
「お友だちと、あんまりうまくお話できないんだって。しばらくおうちで様子見ようかってことにしたの」
 仕方ないのでこちらもありのまま答える。
「話せないって、どうして? 家では普通に喋ってるだろ?」
「どうしてなのかわかってたら休ませないでしょ。私も困ってるんだから……」
 夫の機嫌が目に見えて悪くなる。
 結婚してから六年、付き合い始めてからだともう少し長い。これだけ一緒にいれば、ひとの性質というのはだいたいわかってくる。夫は基本的には、すごくいい人だ。寛容だし気が利いて気配り上手で、人付き合いもうまくて家族を大事にしてくれる――自分の周りのことが万事「うまくいっている」なら。
「周りの子と仲良くできないから家にいさせてるってことかい? でもそんなんじゃいつまでたっても一緒なんじゃないの。幼稚園とか学校とか、集団行動したり人間関係をつくったりするのを勉強するところでもあるわけでしょ。そこからいつまでも逃げてたって解決しないんじゃないの」
 夫の言うことは、いつも正しい。出会った頃からそうだった。本人もそれを知っていて、だから自信に満ちていて、周りを引っ張っていく頼もしさがあって、昔から、みんな彼のそういうところに憧れていた。私も、そういう彼を好きになった。
でも最近は、正しすぎて耳鳴りがする。
 自分の周りがうまくいっている時には、夫の正論はそこまで耳障りではなかった。たぶん、彼の言うことがそんなに変わったわけではない。その言葉の向けられる先、正そうとする相手が、私自身になった。その違いだ。正しいことというのは、容赦がない。
「確かにそうかもしれないけどさ……何かこう、例えば人見知りとかの問題じゃなくて、ほかの原因があるとしたら、無理して通わせてても解決するもんじゃないでしょう」
「ほかの原因って?」
「わからないけど……」
 自分の娘がもしかするとややこしい問題を抱えているのかもしれない、という懸念は夫の不機嫌を決定づけたらしかった。
「とにかく、幼稚園には行かせるようにしなよ。また友だちと会ってるうちに変わるだろう」
 夫の言うことは、それが自分の子どもに起きていることについての話でなければ、正しいように聞こえた。つまり、一般論として聞くのなら。でもいま、自分の子どものことを話しているのに、どうしてそんなに自信をもって、表面上正しそうに聞こえる答えだけで済ませられるんだろう。私は心の中で毒づいた。

 場面緘黙症という言葉を知ったのはそれからもうしばらく経った後のことだ。
 学校とか幼稚園とか、家の外の特定の場面で喋らなくなる症状というのがあるらしい。心理的な要因とか、いろいろ考えられるけどはっきりこれが原因だとは断言できないのだ、とクリニックの先生から聞いた。
 原因はわからないし、治るまでにどれだけの時間がかかるかもわからない、らしい。
 娘に聞いてみても答えてくれはしなかった。そもそも、本人もどうしてそうなってしまうのかわからない、喋りたくてもうまく声が出せないというもの、らしい。
「なんで喋れなくなっちゃうんだろうねえ」
 クリニックからの帰り道、ちょっと冗談めかして声をかけてみたけど彼女はどこ吹く風で、それよりも「あ、わんわんあるいてるよ」と散歩中の犬に夢中だった。
 こういう時にはちゃんと言葉が出てくるのになあ、と私は不思議でならない。でも、そういう病気だというのだから、そうなんだろう。
 病気?
 自分の頭に浮かんだその単語に、ずしんと胃の辺りが重くなる。
娘は病気なのか。なんの問題もなく元気に育ってきたと思っていたのに。娘は普通ではいられないのか。こんなに小さいのに、これからいつまでになるかもわからない間、病気と闘わないといけないのか。
 原因も治療法もわからない、もしかしたら相当長い間付き合っていかないといけないかもしれないもの。それをこんなに身近な、いちばん近くにいる家族が、抱えているなんて。
 それはとても苦しい事実だった。どうしてこんなことになってしまったんだろうかと、私はぼんやり考える。考えたところでわかることでもない、というのも、わかっている。
 おかあさん、どうしたの、と娘に呼びかけられて我に返った。
「ああ、うん、なんでもない。ごめんね、なんて言ったの?」
 その時、娘が少し不安そうな顔をして首を振ったのを見て、私は、ああ、と思った。
 話しても聞いてもらえない、と思わせてしまったら、この子はきっと今以上に喋らなくなってしまう。私はさっきクリニックの先生に言われたことを思い返す。
――この子が安心して、喋って大丈夫なんだと思える場所を、少しずつ増やしていくことです。お父さんやお母さんと一緒なら、外にいる時でも話せそうですか? 焦りは禁物ですが、たとえばお店の人と話したりとか。「受け入れられている」という感覚を彼女が持てるようにしていってあげてください。
 それならなおさら、私はこの子の味方にならなきゃ。この子がどこでも当たり前に話せるようになるまで、せめて、ほんの少しでも、安心して喋っていいんだと思える場所を、残しておかないといけない。
「ねえ、今日の夜何が食べたい? お買い物して帰ろうか」
 えーっとねえ、と考える娘と、つないだ手を軽く揺らす。

 味方になってほしかったもう一人の人は、そうなってはくれなかった。
 クリニックへ行った日の晩、娘は場面緘黙症かもしれないと伝えた時、彼は冗談かと思うぐらいの溜息をついた。
「どうしてそうなっちゃうんだろうなあ。どこで間違えたんだろう」
 間違えた? 私たちは何か間違えたんだろうか。
 夫は、この世の不条理をすべて一身に引き受けたみたいな面持ちになって言った。
「はっきりわからないって言ったって、何か原因があるはずなんだろ。思い当たることとか、前兆とかさ、ほんとに何もなかったの? 気づいてあげてたらさ、こんなことになる前になんとかできたんじゃないか?」
 すっかりくたびれてしまったという調子で話す夫の声は私の耳を素通りしていく。だって、彼は娘のことを考えたり心配したり、彼女を助けようとか、そんなことを考えているようには全然思えない。彼が私の話を聞いただけでこんなふうに疲れ果てているのは、自分の近くで、うまくいっていないことがあるという、そのことに苛立っているからだ。
 何も前兆はなかったのか? 気づいてあげてたらなんとかできたんじゃないかって? 「こんなこと」になる前に? ひとごともいいところだ、と私は声を上げたくなるのをどうにか抑えていた。
「なんとかできたんじゃないかって、それを今さら言ってもしょうがないじゃない。私はこれからどうしていくかを話したいのに」
「そりゃあそうかもしれないけど。だって君はほとんどずっと一緒にいただろう。原因に気づいてあげられるとしたら君なんだから……」
「あんただって、あの子のお父さんでしょ」
「でも俺よりずっと長い時間一緒にいるのは事実なんだから」
「ああもう、原因の話なんかしたくないの。これからあの子にどう接していくのがいいかって、今日クリニックで聞いて……」
「喋れるようにしていかないといけないだろう。それって長引くものなの? このまま小学校に上がったりしたら大変なのはあの子だよ」
「焦らせたらなおのこと良くないって言ってたの、先生が」
「そうか……まあ、気長に付き合うしかないんだな、しょうがないね」
 夫の話し方は、どうしてもひとごとと思っているふしがあるように聞こえた。
 自分の家族が「正解」じゃないほうに向かってきてしまっているのが、彼にとっては不本意なのだ。一刻も早く抜け出して、「正解」のほうに戻りたいのだと、そう言いたげな響きが彼の声にはあった。
私は夫の正しさが好きだった。なんてことない顔で「正解」を選んで、どんなことも器用にこなして、周りのみんなに慕われる夫が好きだった。
 でもそれは、彼にとっての「正解」ではない、いろんなものや人を遠ざけてきたからそう見えていただけなんだと、私はこの時ようやく知った。
 
「そうだ、あんた引っ越しはどうするの?」
 母からの質問で私は回想から引き戻される。ああそうだった、と私は思い出した。
 実家の建物がかなり古くなってしまって、建てなおさないといけないんじゃないかというぐらいだったので、だったら新しい家を買って両親とうちの家族三人とで一緒に暮らそうかという話になっていた。私の親はずっと花屋をやっていたけど、それももう去年閉めてしまったのでちょうどいいだろうと、案外乗り気だった。二世帯ではないけれど、うちの近くでそこそこ大きな中古物件が見つかって、両親は既にそれを買って引っ越す段取りまで整えていたのだ。私と夫が別れることになるよりもだいぶ前から進んでいた話だった。そもそも言い出したのは夫だったけれど。「お義父さんもお義母さんももう歳なんだし、一緒に住んでたほうが安心だろ、俺は兄貴がいるからいいけど君は一人っ子だし」とかなんとか、それらしい理由で。
 夫は仕事が都内だから一人で会社に近い方に引っ越す、私と娘は予定通り新しい家に一緒に住みたいと伝えると、母は「ああそう。そんならいいけど」と少し明るいトーンで応える。孫と一緒に住めるのを楽しみにしていたようだから、そこに変更がないので安心したんだろう。
「うまくいっているもんだとばっかり思ってたんだけどねえ、どこかで間違えたのかねえ」
 引っ越しの件では安心したとはいえ、私が一通りの説明を終えて電話を切る直前まで、母は困惑と落胆を隠さずに喋り続けていた。
 どこかで間違えたのかねえ。
 夫に言われたのと同じような台詞が、受話器を置いた後も頭の後ろのほうで響いていた。
 私は間違えていたんだろうか。いつ、どこで、何を?
 好きな人と恋をして結婚して、娘も産まれて、全部ちゃんとうまくやってきたと思っていた。でも、その娘はほかの子どもたちと同じように当たり前に喋ることができないらしい。すんなりと「当たり前」の状態に戻ることは難しいらしい。なんてことない顔で「正解」を選ぶ、ということができない問題。それは夫にとっては、あまり背負いたくない荷物だったらしい。
 なんでこうなったのか。私たちが、それとも私が、どこかで間違えていたから?
 頭の中で響いていた台詞は気づいたら耳鳴りのようになって、そうしてなおしつこく残っている。額に汗がにじんでいた。梅雨入りが近いこの時期、風通しの悪いこの部屋はもう蒸し暑い。
 振り払うようにして、私はもう一度受話器を手に取ってダイヤルを回す。
 そういえばこの時代遅れの電話機、いいかげん買い換えたいな、まあどうせすぐ引っ越すからその時でいいかなあ、と思いながら呼出音を聞いていたら、五コール目あたりで「はいもしもし」と応答があった。

 電話の相手は、私が長いこと連絡を取り続けている「例外」の一人だった。私よりだいぶ賢かった彼女が都内の進学校に合格して別々の高校に進むまで、私たちはなぜかいつも気づくと一緒にいた。学校の成績がいいだけでなく、読書家で知恵もあって、のんびりしたふうで一見おとなしそうなのに、実は芯が強くて一筋縄ではいかない子。私とは――どちらかといえば落ち着きがなくて移り気で、何でもその場しのぎの愛嬌で乗り切ろうとする私とは、対極にいるような子。たぶん、昔の私も、自分にはそういう友人が必要だと無意識に感じていたんだろう。現に今、私は彼女の言葉を聞きたかった。
 私は名乗るのも忘れて、「あのさ、ちょっと聞いてほしいんだけど」と切り出した。彼女はそれで私だと察しがついたらしく、「なんだ、あんたか。言ってみなさい」と聞く態勢を整えてくれた。
 そこで私ははたと気がつく。私は彼女に何を聞いてほしかったんだろう。いざ話そうとしたらよくわからなくなった。仕方ないのでこれまでの経緯を順を追って話していく。娘が外で喋れなくなったこと、そのことで夫と噛み合わなくなったこと、夫の思う「正解」が出せないこと、夫の正しさが嫌になったこと、別れることにしたこと。
 彼女は口を挟まず、相槌を打ちながら、ただ、聞いてくれる。私がどうしようもなく垂れ流すだけの言葉を、そのまま受け止めてくれる。
 話しながら泣く――ようなことはなかったけど、なんだか自分が小さな子どもに戻ったような、あのね、こんなことがあったんだよ、とその日の出来事を聞いてもらっているみたいな気分になって、途中からなんだか変に寂しくなった。つかえていたものを吐き出してしまったところに空洞ができて、そこを空気が出入りする。スースーする感じ。
 ねえ、私、どっかで何か間違えたのかなあ。
 聞くつもりじゃなかったことを、どうやらものの弾みで聞いてしまったらしい。でも、結局のところそれが一番、私が彼女に聞きたいことだった。
「何言ってんの。そもそも人生決まった正解があるわけでもないのに、間違えてたかどうかなんてわかるわけないでしょ」
 少し間をおいて、呆れたような彼女の声が聞こえてきた。
「そういうもんかな」
「そういうもんだよ。だって、あんたがどっかで間違えてたんなら、じゃああんたの子どもは? 間違いなんかじゃないでしょ。その子が喋れなくなったのはあんたが間違えたせいでもなんでもなくてさ、ただ単に、なんか、私はその子のこと知らないけどさ、いろんなことがあってたまたまそうなっちゃったってだけでしょ。あんたの選択ひとつが正解だとか間違ってるだとかで、あんたとか、あんたの周りの人の人生がそんなにガラッと変わっちゃうなんて……ねえ? そんなわかりやすいもんじゃないと思うわ」
「そういうものか……そうね……」
「そういうもんだと思っときなよ。そうじゃないと重すぎるよ、生きてくのが」
 生きてくのが重すぎる、という彼女の言い回しがなんだか大袈裟で、ちょっとおかしい。でもそんなものかなという気もしてきて、私はうなずいた。
「じゃあそういうことにしとくわ。ありがとね」
 ありがとね、と言いながら、私は思わずフフッと笑い声を漏らしていた。シンプルなんだか複雑なんだかよくわからないけど、でもこういうところなんだ、私が今でも彼女にこうして電話をかける理由は。
 正解でも間違いでもなくて、よくわからないけど、いろんなことがあってそうなっちゃってるだけ。なかなかの開き直り方だなあと思う。とはいえそれは、今の私にとっていちばんいい方法なのかもしれない。それなら、そのよくわからない現状をどうにか認めてやっていくしかないから。正解のルートに戻るためじゃなく、この先のルートがどういうものだろうと、娘と一緒にちゃんと生きてくための。
 電話の彼女は何年か前に地元に帰ってきていた。引っ越す前に一度いまの実家に帰ると思うから、その時にでも会おうと約束する。
「ところで、そっちは何もないの? 新しい出会いとか」
 電話を切る前、少し彼女の近況も聞きたいと思って、話の流れで尋ねた。彼女は結婚していなかった。
「私のことは別にいいでしょう、結婚する気もないし」
 相変わらずだなあ、と私は思う。
「……もしかして、前に話してた人のこと引きずってる?」
 いつだったか、彼女が高校時代に好きだった人と再会したと聞いていた。再会したからといって特に何があったわけでもないらしいけど、その人の話をするときには彼女の表情がいつになく感傷的に見えたので覚えている。彼女と同じように本が好きな人だったと。彼女も普段はおとなしいほうだけど、もっと喋らない人なんだと。喋らない人なんてつまらなくないの、と言ったら怒られた。
「引きずってなんかないけど……まあ、また今度来るならその時でいいでしょう」
 これは永遠にはぐらかされるルートだなあ、と思いながら、私はわかったわかった、と答えて、もう一度お礼を言って電話を切った。
 
 二本の電話を終えて、私はようやくほっと息をついた。これであとは、事務的にいろんなことを片付けていくだけだ。
 いや、もう一つ、考えないといけないことが残っている。これから私があの子にどうしてあげたらいいのか、まだはっきりとは見えていなかった。
 病院の先生には、安心して喋れる場所をなるべく増やしてあげるようにと言われた。無理に喋らせようとするのではなくて、この子が、ちゃんと受け入れられているという実感をもって喋れるようにと。今のところ、私の前では普通に喋ってくれているけど、それだけでは足りないらしい。幼稚園に行かせたところで状況が改善するとは、あまり思えなかった。おじいちゃんやおばあちゃんと一緒に住んでみたら何か変わったりもするだろうか、どうなんだろう。
 受け入れられているという感覚――さっき私が電話で話していた時の感じが、それなのかな、とふと思いあたった。娘はまだそんなにごちゃごちゃしたことを考えることはないだろうけど、なんとなく不安な気持ちだとか、どうでもいいんだけど誰かに聞いてほしくてもやもやすることだとか、そういうのを相手がすうっと吸い取ってくれるような感じ。その点ではさっきの友人は天才的だ。
 彼女が子どもに対しても同じように聞き上手かはわからないけど、私の娘だし、ちょっとおとなびたところもある子だから大丈夫なんじゃないか、と思いつく。実家にいる間に一度、娘も一緒に連れて彼女と会おう。そう考えたら、不安がなくなったわけではなかったけど、ひとつ楽しみなことが増えた。
 ただ、それでもまだ十分じゃないような気もする。

 母にも言ったとおり、夫との話し合いはもうほとんど済んでいたのでその後はスムーズで、あれよあれよという間に実家に戻る日が来てしまった。今年は梅雨入りが早かったからこの日までに梅雨明けしてくれないかな、なんて考えていたけれどそうはいかず、それでも幸い曇りで持ちこたえてくれた。まだ本格的な引っ越しではないとはいえ、大荷物を抱えて移動するのに雨まで降ったらやりきれない。
「あんたの荷物でこっちに置きっぱなしだったのはそのままになってるから、引っ越すまでにいるものといらないものとわけときなさいね」
 到着して荷物を下ろすなり母からそう言われて、私はハイハイと答えたけど、たぶんほとんどいらないものだ。いるものは全部、結婚した時に持って行っていたはずだから。
「ああ、それから、あんたあれどうするの」
「あれって?」
「あれよ、グランドピアノ。そう簡単に捨てていいもんでもないと思ってまだ置いてあるけど、さすがにもう弾かないでしょう」
「ああ――アップライトピアノだけどね」
 私は苦笑した。母の中ではピアノと言ったら何でもグランドピアノになってしまうようだ。昔から何度訂正してもそうだった。
「確かにまあ……弾いてないけど」
「この際だからね、もういい加減買い取ってもらおうかってお父さんと話してたのよ。あっちに持って行っても誰も触らないんじゃあ……」
 母は眉をひそめながら言う。
「ううん……ちょっとあとで、ほかの荷物も整理してから考えるわ」
 私は適当にごまかして居間を出た。娘はおじいちゃんと遊んでいる。言葉少なではあるけど楽しそうにはしているので少しほっとした。

 廊下の突き当りに洋間があって、ピアノはそこに置かれている。
 私がピアノを習っていたのはもう二十年以上前の、ほんの一、二年の間だけで、それ以降弾くことはもう全くなくなってしまったのだけれど、それでも売ったり捨てたりされることなく、ずっとそこにある。
 ピアノの前の椅子は私の定位置だった。そこに座るのが一番安心できた。それは弾かなくなってからも一緒で、何かというとすぐそこに座っていた。この大きな楽器の前に座ると、宇宙船のコックピットとか飛行機の操縦席とか、何かそういう、すごいものを動かせる場所に自分が陣取っているような気分になったのを覚えている――だからといってピアノはちょっとも弾けるようにはならなかったのだけど。
 でもとにかく、ちゃんとした曲こそ弾けなくても、ここに来て座ると、私はそれだけでもう大丈夫だと思えていたのだから不思議なものだ。学校で嫌なことがあった時とか、好きな子に振られた時とか、両親がけんかしている時とか、私はまずこのピアノの前に来て座って、何を弾くともなくいいかげんに音を鳴らしてみたり、漫画や本を持ってきてわざわざここで読んでみたりした。お菓子を持ってくるのは、鍵盤が汚くなるからやめなさいと怒られてやめたんだったな。
 母は何度か、もう弾かないなら買い取ってもらえばと言っていたけれど、そのたびに私が、この場所がなくなるのは嫌だと主張するので、いつしか諦めてそのままおいておくことにしてくれたのだった。
 安心毛布みたいなものだから、というのが、子どもの頃の私の主張だった。
 当時、なぜか実家に数冊置いてあったピーナッツの漫画に出てくる男の子――なんていう名前だったか忘れてしまった――が、いつも肌身離さず持ち歩いているぼろぼろのブランケット。私にとってはピアノとその椅子が、どういうわけか手放したくない「安心毛布」だった。もうその頃には、私はだいぶ大きくなってはいたのだけれど。
 何をやっても長続きしなくて、どれも身につかないままやめてしまって、人間関係もほとんどすぐに切れてしまうし、結婚生活も続かない、そういう私がなぜか固執してきた数少ないものの一つが、このピアノだった。何度も言うけど弾けもしないのに、どうしてこのピアノの前だとそんなに自信と安心感をもっていられたのか、未だにわからない。大きな楽器というのは器も大きいのかもしれない、なんてくだらないことを考える。弾けない人間が何時間も前に座り続けていても、なんとなく、受け入れてもらえているような、肯定してもらえているような気分になれていたのだから。
 ああ、そうか、私は受け入れてほしかったんだな。
 両親はお店をやっていたからいつも忙しそうだったし、一人っ子だったから家にいる時はほかに話す相手もいなかった。私が、長続きもしないのにあれもこれもと手を出していたのは、自分が受け入れてもらえるところを探していたからなのかもしれない――その割には根気がなかったみたいだけど。ピアノにしても弾き方は身につかなかったわけだけど、それでもなんとなく、このピアノの前が自分の定位置だと思えるようになって、そこにいる限りは大丈夫な気がして、だから手放したくなかったんだろう。
 でも、いいかげん、ここから離れたほうがいいんだろうか。当たり前だけど私も実家を出てからはこのピアノの前に陣取ることもなかった。ちゃんと弾いてくれる人の手に渡った方が、やっぱり楽器も本望だろう。
 そんなことを考えながら以前のように何の曲にもならない和音を鳴らしていたら、「おかあさん、ひけるの?」と声がしたので驚いた。いつの間にか娘が洋間の入り口から覗いている。おいで、と手招きして私は彼女を膝の上に乗せた。
「ひけるの?」
 彼女はまた聞いた。
「もうずっと昔に、ちょっとやっただけだからなあ」
「ききたい! なにがひけるの?」
 私はちょっと困って、遥か遠い記憶を頼りにきらきら星を弾き始めた。当たり前だけど、うろ覚えもいいところなのでつっかえつっかえだ。それでも、正しく弾けば音はきれいに鳴った。誰も弾いていないのに、ちゃんと調律してくれていたんだろうか。
 私が間違うたび、娘は、おかあさんそうじゃないよお、とちょっと面白がっているように言う。途中から一緒に歌いながら、一応は最後まで弾き終えた。娘は笑いながら、できたできたと言って拍手する。
「わたしもひきたい」
 彼女がそういうので、じゃあ見ながら真似してごらん、と私はもう一度ゆっくり鍵盤の上を辿る。さっきよりはスムーズに思い出せる。娘は私の一オクターブ下で、歌いながら追いかけてくる。わかんない、いまのもういっかいやって。ほら、ここを押さえるの、次はここ。きれいな音、するね。そうねえ、ピアノの音ってきれいね。
 話しながら、娘がこんなに見るからに楽しそうにしているのは珍しいな、と気づいた。元々おとなしい子で、本を読んだりするのは好きでも、あまりその感想を話してくれることはなかったし、表情の変化も小さい。その彼女が、私の鳴らした音に、それから自分の鳴らした音に、感動をあらわにしていること、「わたしもひきたい」と言って夢中で指を動かしていることに、私は驚いた。
 私がうろ覚えで弾いたきらきら星を真似して鍵盤を叩き、ほらみて、できたよ、とこちらを見上げる彼女の上気した面持ち。もうほかのものは一切目に入らなくなってしまったかのような瞳の輝き。人が恋に落ちる瞬間ってこんな感じなのかもしれないなと、私はなんだか妙にロマンチックなことを考えた。
 そしてこれも驚いたことに、娘はさっき初めて教わったばかりのきらきら星を、何度か鍵盤の上を行ったり来たりするうち、すらすら弾けるようになってしまった。
 もしかすると、これはこの子にとって運命の出会いなのかもしれない。
 と考えて、なんてね、と私はこっそり笑う。でもそうでないとしても、少なくとも娘は今、これまでのどんな時よりもきらきらした顔を見せてくれていた。
 ピアノの前という場所は、かつて私にとってそうだったみたいに、この子にとっても安心できる場所になるかもしれない。安心して、自分の好きなようにいられる場所に。
 娘の名前を呼ぶと、彼女は手をとめて振り返り、きょとんとした顔で私を見る。
「ね、ピアノ、習ってみる?」
 娘は一度、大きく目をぱちくりさせて、それから、ぱあっと笑顔になってうなずいた。
 大丈夫だ、と私は思った。この子はきっと大丈夫、ちょっと喋るのが下手だって何てことはない。この子はもう、自分の場所を見つけたんだから。
娘を抱き上げて一人で椅子に座らせ、隣にしゃがんで私は続けた。
「おばあちゃんにお願いして、このピアノ、新しいおうちに持って行ってもらおう。いま、一部屋余ってるはずだからちょうどいいね」
 いたずらを企むように、私たちは顔を見合わせて笑った。

書くことを続けるために使わせていただきます。