「そんなら死なずに生きていらっしゃい」

 今夜は満月だという。確かに月が明るい。月が明るいのを見ていると思い出す話がいくつかある。

 このnoteで最初に少し触れた夏目漱石の『硝子戸の中』にもそういう一篇が収められているので、それについて紹介しようかという気になった。漱石と月と言うと、「"I love you"を『あなたといると月が綺麗ですね』と訳した」という逸話が有名だろうかと思うが、まったく別の話である。

 漱石のところに、自分の経験した話を聞いてほしいという女が訪ねてくる。女の話は、聞いている漱石が息苦しくなるほど悲痛を極めたもので、話し終えて彼女は漱石に尋ねる。

「もし先生が小説を御書きになる場合には、その女の始末をどうなさいますか」
「女の死ぬ方が宜いと御思いになりますか、それとも生きているように御書きになりますか」

 漱石は初め、返答に躊躇する。彼女はひどく傷ついていたが、その傷は同時に、彼女にとって「美くしい思い出の種」でもあり、彼女はそれを「宝石の如く永久彼女の胸の奥に抱き締めていたがった」。それが時間とともに薄れていってしまうことを彼女は恐れた。
 漱石は答えないまま、夜が更けたからと女に帰るよう告げ、彼女を送る。

「その時美くしい月が静かな夜を残る隈なく照していた。往来へ出ると、ひっそりとした土の上にひびく下駄の音はまるで聞こえなかった。」

 月が明るいのを見ているとき、私が思い出すのはこの場面だ。
 曲がり角で女は「先生に送って頂くのは光栄で御座います」と言う。漱石が「本当に光栄と思いますか」と尋ねると、彼女は「思います」とはっきり答える。漱石は言う。

「そんなら死なずに生きていらっしゃい」

 漱石自身は、「死は生よりも尊い」と思いながらも「生というものを超越する事が出来なかった」とか、「私は今でも半信半疑の目で凝と自分の心を眺めている」とも書いていて、生きているということが必ずしも良いことであるとは信じていないふしがある。
 それでも自分が「依然としてこの生に執着している」以上は、ひとに与える助言は「この生の許す範囲内においてしなければ済まないように思う。どういう風に生きて行くかという狭い区域のなかでばかり、私は人類の一人として他の人類の一人に向わなければならないと思う」という漱石が、美しい記憶のために苦しむ人に告げた答えは、「そんなら死なずに生きていらっしゃい」という、極めて単純で、明快なものだった。 

 この一言の背後にある死生観は、さほど明快なものではないとも思う。それでも、なんのためにとか、なぜとか、どういう風にとか、そういう修辞をいっさい伴わない、ただ「生きていらっしゃい」という、このきっぱりした一言が、妙に小気味よい響きをもって私の頭に残っている。
 不愉快であっても、苦痛であっても、平凡であっても、生きているということが事実である以上は、そこに理由や目的を求めるよりも、ただその生において続けていくのが、ひとまずは適当であるのかもしれない。その生がよいものであるか否かは、また別の問題になるのだろうが。
 なんにせよ、そんなら死なずに生きていらっしゃい、というぐらいの軽やかな調子で、どのような生であれ、生きている限りは生きて行くということを肯定するのは、悪くないな、と思う。今夜は月が明るい、そんなら、生きていらっしゃい、と言ったっていいのだから。

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