素描あるいは日記 4、または愚痴 (ライブいきたい)

少し前にもこんな趣旨のnoteを書いた記憶があるが、相変わらずライブに行けるようになる日を首を長くして待っている。

配信ライブというものが広く行われるようになってきて、いまの世の中の動きというのは速いものだと思いながら、今夜もフジファブリックの配信をアーカイブで観ていた。

配信だからこその表現や楽しませ方を考えないといけない、というのももうスタンダードになってきているのかもしれない。フジファブリックはモバイル会員限定という形式で、寛いで楽しめるアコースティックライブとトークを届けてくれた。

ちょっと前には、映像作品として観てもじゅうぶんすぎる完成度だったサカナクションの配信があったりとか、閉園を前にしたとしまえんで歌ったハンバートハンバートがいたりとか。最近だと普段はやらないような場所で開催された今年の京都音博だとか、みんな「配信ライブ」としての形を模索して、すばらしいものをみせて、聴かせてくれている。

いまの状況下でもこうして彼らの最新の音楽が聴けること、音楽の楽しみかたが増えたこと。それはまちがいなくうれしいことだとおもっている。おもっているけれども、「ライブいきたい」とおもうのもやめない。配信が終わってブラウザを閉じながら「ライブいきたい」と呟く。

配信ライブ。ライブという名前はつくけれども、それは従来のライブとは別のものとして確立されようとしている。映像や音声や通信技術がどれだけ進んでも、たぶん、その場にいて観て聴くライブでなければ満たされないものは残ってしまうから。空気の振動や温度、人の熱なんかを感じながら、空間を満たす音に身を委ねる時間。ステージと客席の直接的な応酬。ライブは、あるいは音楽は、きわめて身体性の強い体験でありコミュニケーションだ。

場所を隔てて画面越しでも全く伝わらないということはないけれども、いきた音、それを通じて交わされるいきたコミュニケーションに出会った空間を覚えているうちは、おそらく足りない。

ああ、ライブにいきたい。

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