素描あるいは日記 3

いつも昼休みには社内の食堂で昼食をとっていたが、このところ陽光のさし方が変わった気がしたので、外へ出て何とはなしに歩いてみることにする。川沿いのベンチに腰かけて軽食で済ます。残った時間で本を読む。からりとした空にすじ雲が伸びるのを眺める。絵に描いたような秋の訪れ。

夏から秋に移るときのこの空気と、それが呼び起こす感情というのは何なのかと、毎年飽きもせずに考える。少し前までの熱気と喧騒とが去って、残された空き地に風が立つ。名前のわからない草の葉がさわさわ揺れている。

夜、うちに帰って窓からかすかに吹き込む風の匂いをかいでいたら、なぜか子どもの頃の、体育祭のあとの休み明けの朝を思い出した。小学校でも中学校でも、体育祭はちょうどこれぐらいの時期だった。まだ日焼けしたてで痛む肌と、急に澄んだように思えた空気と、テントや得点板や万国旗がすっかり片付けられてしまったいつものグラウンド。

夢からさめたような、というのとも違う。確かにそこにいた。けれどもう行ってしまったとわかる。

せつなさのひとつのありかたについてのメモ。

書くことを続けるために使わせていただきます。