絵画のこちら側、あるいは好きな絵の話

最近観に行った展覧会についての備忘録、を書こうと思っていたのだけれど、書きかけで放置してだいぶ経ってしまったので、好きな絵の話ということにする。

京都の嵐山にある福田美術館で4月9日まで行われていた企画展「日本画革命」をどうしても観に行きたく、3月の週末、このために京都まで足を延ばした。
桜にはまだ少し早いものの天気もよく、観光客も戻ってきていて、渡月橋のあたりはかなりの人出。

福田美術館のコンパクトで落ち着いた雰囲気が好きで、関西に住んでいた頃は度々足を運んでいた。
引っ越してからもまた行く機会を伺っていたのだけれど、それだけでなく今回の企画展をどうしても観たかったのは、東山魁夷の作品がかなり大きく取り上げられていたから。

魁夷の作品の持つ静謐さや荘厳さ、描かれた光景そのものに対する画家の畏怖や愛着、郷愁、柔らかな色彩、瑞々しい緑、眩い青、温かな橙、山並みや湖面に落ちる光、街並みから感じられる息遣い、といったものがどれも心底好きだ。

私にとっての風景画をみる喜びは、その瞬間、画家の目を借りて彼らのみたものに触れられることにあるかもしれない。

絵の前に立った時、その画家の存在、視線を強く感じられる作品が好きなのだと思う。絵画のこちら側、自分の隣に画家その人がいるような感覚というか、あるいは自分がその画家の目を通して絵の中の光景を見ていると思えるというか。

企画展のメインビジュアルにも使われているのが「緑の朝」。

東山魁夷「緑の朝」

湖畔に白い馬が佇む「緑響く」にも通じる構図、配色の作品。

魁夷の緑色を眺めていると泣きそうになることがある。
圧倒されるという印象とは違う。「響く」という表現は(上の画像の作品のタイトルではないが)言い得て妙だ。
光の粒が音の粒になる。空間を満たす。そんな瞬間に立ち会っている気がする。

こちらも同じように緑色の印象的な作品。

東山魁夷「月映」

ぴんと漲った水面に落ちる月の光。じっと見つめたくなる心地好い緊張感がある。

緑の映える季節ばかりでなく、秋や早春の風景も素敵だ。

東山魁夷「盛秋」


東山魁夷「春来る湖」

自分の気に入った絵を見返すと、水面の描かれたものが好きなのかもしれない。静と動を併せ持った風景、反射する光のイメージに惹かれる。

つい東山魁夷の話ばかりしてしまったけれど「日本画革命」では他にも加山又造や小野竹喬、横山大観や菱田春草などそうそうたる面々の作品が揃っていた。

素人考えだけれど、大観や春草の絵は西洋美術でいうところの印象派にも通じる気がする。同時代の画家から「朦朧体」などと言われていたというあたりも含めて。
つまりは空気や光を描こうとした人たち。

横山大観/菱田春草「飛泉」

画家の目を通して捉え、写し取った光景は生き生きとしている。ある意味、最も臨場感のある種類の絵なんじゃないかと私などは思う。

加山又造や小野竹喬の作品もまた違った切り口で好きだなと思った。

加山又造「日輪」


小野竹喬「秋」

エネルギッシュな筆致、明暗のくっきりした鮮やかな画面が印象的な加山又造、独自の色遣いで描かれた風景が目を惹く小野竹喬。どちらも素晴らしかった。

もう少し最近観た展覧会では、国立西洋美術館の「憧憬の地 ブルターニュ」、東京都美術館の「アンリ・マティス展」、それから大阪の中之島美術館で観た「佐伯祐三 自画像としての風景」もよかった。

(ちなみにここまで挙げた中で6月19日現在、まだ開催中なのは佐伯祐三展とマティス展。こういう話題は本来、会期に余裕があるうちに書いた方が読み手にも有益なのだろうな…と思いつつ、レビューというほどの内容でもないのでそのあたりはいい加減になってしまうのだった)

さっき印象派の名前を出したこともあるので(?)今回はブルターニュ展の話をしようと思う。
(マティス展も佐伯祐三展も素晴らしかったのでその感想はまた追々書きたいところ)

ブルターニュ展でも個人的に惹かれたのは風景画のほうが多い。
入り口のターナーの作品に始まり、シニャックの点描、ブーダンの描く空と海。それぞれ違った光の描き方が興味深い。
モネの「嵐のベリール」と、対照的に明るい光に満ちた「ポール・ド・モワの洞窟」の並びを見られたのはうれしかった。

ルドンの「薔薇色の岩」とか、「風景」というそのものずばりなタイトルの作品にはどこか侘しさもあり、見入ってしまったりもした。

ブルターニュに対する画家たちの視線の多くが外部からのもので、「憧憬の地」という言葉を無批判に受け入れるべきでない、という論点があると思うのだけれども、それでも、画家たちの見たブルターニュという土地の美しさ、それを自らの目で見て、自身の感性で捉えてキャンバスに写し取った作品の魅力を否定するのは私には難しい。

一方で、旅行者としてだけでなく長期間にわたってブルターニュという地に入り込んで制作をおこなった人々の作品もあり、それらを観るのは個人的に新鮮で刺激的な体験だった。

アンリ・リヴィエールの浮世絵風の版画は表現の方法という点でも面白かったし、シャルル・コッテやリュシアン・シモンの作品はブルターニュに暮らす人々のよりリアルな面(ハレの場面もあれば、弔いや嘆きもある)に踏み込んだ題材を取り上げていて興味深かった。

日本人の作品が多く展示されていたのも印象的だったなと思う。
強く記憶に残っているのは藤田嗣治の「十字架の見える風景」と、岡鹿之助の「信号台」で、どちらもシンプルな構図の中にスッと惹きつけられる力があったなという印象。
作家自身が強く惹かれたものだからこそなのかもしれない、という、言うまでもなさそうなことを考えてみたりする。

やっぱり風景画を見るとき、それ自体の色遣いや構図の美しさにももちろん惹かれるけれど、それだけではなくて、絵画のこちら側にいる画家のまなざしに惹かれているような気がする。

そう思わせてくれる絵を好きになるのか、好きな絵だからそう思うのか、どちらなのかはよくわからない。

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