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声がきこえるうちに

「人の世の歩みのちょうど半ばにあったとき」とダンテが歌ったその時から700年あまりが過ぎて、私はその声をようやく聞いている。時代を生き抜くのは、人ではなく、言葉だから、訳者という巫女を通してその声を聞くことができる。

言葉を生かすために生きる人がいて、その言葉によって生かされる人がいる。

私は誰のために、どのように言葉を使うべきなのか、使いたいのか、ここ最近よく考えている。本は人を呼ばない。言葉は人を呼ばない。それを求めない者のもとには決して、その言葉は思考は届かない。求めたとて、届くかどうかさえわからない、本を読む行為には書き手も読み手も、一種賭博のような側面を持っている。

大学院に所属していたとき、毎日のように図書館の閉館の合図を聞いていた。その頃にはほとんど人はいなくなっていて、あの頃がもっとも本のさざめきが聞こえていたような気がする。それだって、気がするだけなのだけれど。

できなかったことを紙に書いてひとつひとつ燃やしていく、夜を行く船のように弱々しいひかりを灯して、できる限り優しい炎で。寂しくならないように、悲しくならないように。

言葉にできないという感覚はおおよそにして正しい。私だけが知っている朝の陽光の美しさや、まいにちに埋もれてゆくような取るに足らない悲しみや憤りをすくい上げて、抱きしめて背をなでて、不格好な言葉に作り直していく。それは、ここにはいないあなたに、そうすることでしか伝えることができないからです。

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