優しい影がさす

日々を過ごすための時間割

大人になって、というよりも、学校を卒業して失ったものは時間割なのだと思う。1時間、あるいは1時間半ごとに区切られた明確な時間と対応する予定。

意識することなくそれらはいつの間にか失われ、その代わりにおおよそ自分で割り振りが可能な24時間を得た。

けれども、その時間はひどく難しい。かつて隙間なく、等間隔に割り振られていた時間にはそんなに自由はなかったかもしれないけれど、同時に埋められていた予定は明確に私達に「何かをしていた」時間をもたらしてくれていた、と思う。

誰からも予め決められた時間割をもらえなくなって、放り出された24時間という輪郭が滲んだような枠だけが残って、すっかり暮らし方がわからなくなってしまった。

学校を卒業して、それなりの時間が過ぎたはずなのに、全然慣れることはない。そも、慣れるようなことではないのだと思う。意識して、訓練をしなくては。

日々を暮らしていくための時間割が必要だ。そうしないと、時間はあわいに溶けていくし、心ばかりが何もしない時間においていかれて腐っていってしまう。

床を磨く、本を読む、外に出る、文字を書く、料理をする。
あの頃のようにかっちりと四角い時間の使い方はしなくてもいいけれど、不格好な楕円でも、フリーハンドで書いた時間割をつくってみたいと思う。

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